2011年10月31日月曜日

本日のスケジュール。

9時に三菱東京UFJ銀行、9時20分にみずほ銀行、9時40分に三井住友銀行。月末は支払いが多いなあ。11時にオフィスへ行き未徴収書類を持って、12時に東京海上のI氏と神田「みますや」で煮魚の定食を食べる。おいしいね。13時20分に市ヶ谷の嘱託医にお客様をお連れした後、別のお客様をご紹介いただく。おいしいね。15時、オフィスに戻り事務手続。夕方の会議はめんどくさいのでパス。15時30分、松戸の自宅へ。ガスファンヒーターの設置とガス栓を部屋の中央に1つ増設する工事。終了後、18時に北千住「東急ハンズ」へ。赤い工具箱を1450円で購入。これ、かっこいいわ。19時、帰宅。なぜかソファーで眠ってしまう。深夜1時、フェイスブックのサイトに入る。深夜3時、ブログの作成。
おやすみなさい。

2011年10月30日日曜日

異業種交流会。

巷間、異業種交流会なるものが花盛りである。フェイスブックをやっていて、様々なところからお誘いがかかる。正直、これって全然うれしくないのだ。
例話を挙げて説明しよう。
話は私が16歳のときだから35年の歳月を遡るのだが、あるとき同じ高校の別のクラスの奴から話があった。
「三ノ宮(神戸の繁華街)でな、女の子ぎょうさん呼んでパーティーやるんやけど、来てくれへんかなあ?会費は3000円やねん」とのこと。
即、オッケーしてポケットに入っていた虎の子の1000円札(当時は伊藤博文)を3枚手渡した。
「待ち合せは元町駅の改札。土曜の5時。ほな」と言い残して彼は去っていった。
当日、元町駅に行ってみると男ばかりが5人ほどいて、30分待っても1時間待っても彼も女の子も現れない。結局、5人はショボーンとして帰ったように記憶している。
月曜日の朝、学校に行ってみると首謀者の彼が校門のところで待っていて平謝りに謝るのだ。
「ごめんごめん。堪えたってくれ。全員と連絡がつかんかったんや。時間も決まっとったし、店の人はお金返してくれへんし。すまん」と頭を下げる。
後日、同席した女の子に土曜日のことを訊いてみた。
「阪急三ノ宮駅の改札で待ち合わせして、北野の方のパブに行ったよ。うちらタダやったし、ピザとかおいしかったよ」。結局、我々5人の15000円が彼らの飲食代に消えたことが解ったのだ。
何でこんな話をするかとゆーと、今の異業種交流会においてもこーいった鞘取りが行われてませんかってことを言いたいのだ。例えば会費が5000円、10000円、20000円など、端数が無いこと自体が怪しい。会場となるお店に5000円、10000円、20000円と会費の全額が支払われて主催者がバックマージンを懐に入れていない場合はオッケーだが、お店には3500円、6000円、12000円のコース料金を支払うだけで主催者とその取り巻きは1円も支払わず飲み食いをし、帰りには万札を握って帰るってことが多々あるのではないかと私は考えている。
もし、異業種交流会を開催するたびに彼らの収入が増えていくのであれば、最初から以下のように銘打ってから人を集め、賛同が得られた場合にのみ開催すべきものだと思っている。

「主催者の生活応援のための異業種交流会」。

2011年10月29日土曜日

ささやかな愉しみ。

フローリングの床の上に、ゴルフ用人工芝を貼ってみた。縦10cm、横25cmの小さな緑のそれだ。ここにゴルフボールを置いて、寝室の畳まで4mの距離を打つ。これで、4m先にボールを落として6mから8mのランを想定したアプローチの練習ができる。
思えば犬(ドンキー)が存命の時はゴルフボールを放置できなかったし、練習の邪魔をするので室内でのパターや、こういったアプローチは半ば諦めていたのだが、彼は今や江戸川河川敷で眠りに就いているので、思う存分練習ができる環境が整った。ちょっと淋しいけれど、ありがたいことでもある。
10月営業は目標数字をクリアし、オフィス内でも上位に入った。ほっと一息つきたいところだが、11月に同じ程度の数字を打たなければ意味が無い。12月もそうなんだけど、手を抜くと簡単に転がり落ちるのが生保営業の怖いところなので、12月まではしっかりと走ろうかと思っている。
そういった事情で、この、ささやかなアプローチ練習は今の生活のちょっとした潤いになっているのだと思う。但し、調子に乗って窓ガラスにヒビを入れないように注意したい。

2011年10月27日木曜日

ご契約。

お客様のご厚情に感謝します。本日は、月掛け保険料29583円のご契約。コミッションは内緒だけど、しっかりといただきます。正しい商いをして、適正な利潤を得る。ごくごく当たり前のことなんだけど、これを継続していく難しさを骨の髄まで知っています。
こちらサイドの提案を快く受け入れてもらい、承諾してもらうためには相互の理解が不可欠です。それには、やはり日々の積み重ねが大切で、その前提条件は自然体でいること。
肝に銘じて、勇往邁進していきたいと考えています。

2011年10月26日水曜日

ジャズライブ。

フェイスブック友の宮尾香代チャンのライブに行って来ました。お店は浅草。
曲は前半の6曲を聴いて帰ってきたんだけど、正直、不満足でした。だって、おれの方が上手いんだもーん。
1曲目、明るい表通りで。2曲目と3曲目はホイットニーヒューストンのナンバー。4曲目、センチメンタルジャーニー。5曲目、ベサメ・ムーチョ。6曲目、枯葉。
全部メゾフォルテで、声質も個性的でないし、瞬発力もアクの強さも無かった。イマイチであった。プロとして金を取るんであれば、もうひと工夫もふた工夫も必要だろう。
辛口でゴメンネ。でも、本当のことしか書けないわ。以上。

2011年10月25日火曜日

決断。

トランペットの先生を変えることにしました。先方からフェイスブック、ブログにおける私のコメントに対するクレームがあり、私がその内容を訂正もしくは撤回しない意思を伝え、師弟関係に私のほうからピリオドを打ちました。先方も強気、こちらは超強気なので相容れることなく決裂した格好です。先方の最初のメールから私の最後のメールまで、時間にして35分間。なんとも、あっけない幕切れ…。
私の最後のメール。
「そのフォローは、私にはできませんので、潔く退会をしたいとおもいます。今までありがとうございました。お元気でご活躍ください。残念ですが、さようなら」。
人としての善悪とゆーより、相性、クオリティー、タイミング、好き嫌いその他の諸要素によって、人は出会いと別れを繰り返すものなんだなーって感じました。基本練習を1年、しっかりとやらせてもらい技術の向上には役立ちましたが、いかんせんクラシック奏者の潔癖症にはついていけなかったとゆーのが本当のところです。
常識は、その人によってレンジが異なる。そのことを、再認識したのが今回で、淡々と受け流したって感じかなぁ。よって、2月11日の発表会は無くなり、私のラフマニノフは幻の公演となったのでした。10月31日の女史のコンサートにも足を運ぶ訳はなく、チケットはゴミ箱行きとゆーことになります。合掌。

ヒデキーズ。

名前がヒデキもしくはヒデが付く場合で、何らかの選定理由があったときに、ヒデキーズへの加入が許される。リーダーは愛知県春日井市在住の堀田英樹氏。人となりは解らない。
とにかく縁あって、私は27番目の会員となった。ありがたいことだ。レディースとしては「ヒデキの妹」とゆーサイトもあって、そこには50数名のエントリーがある。
このグループが10年続けばメンバーはおそらく1000人を越えるだろう。課題は日本人だけでなく、いかにして外国人のメンバーを募るかだろう?
果たしてヒデが付く外国人は存在するのだろうか?
ヒデコフとか、ヒデビッチ、ヒデゴールドマンとかはいないだろう。中国人の女性に英とか秀とかゆー名前の人は存在するだろうけどね。
あと、会員資格とゆーか必須条件として、西城秀樹の「ギャランドゥー」がカラオケで歌えないといけないらしい。今から必死で、練習しないと!

2011年10月24日月曜日

芸術の秋。

26日(水)は宮尾香代さんとゆージャズシンガーのライブ、31日(月)は写真の班目加奈先生のクラシックコンサートに行ってくる。10月は働き通しだったので、自分へのご褒美ってゆー位置付けのイベントかなぁ?とにかく、心にも栄養を補給しないといけない時期にきてるんだなーって思う。生活に潤いがないと人間は枯れてしまうからね。
宮尾さんとはフェイスブックで知り合っただけなので初顔合わせってことになるし、班目先生は今日も稽古をつけてもらった私の師匠なので今年はどんな音で、どんな曲を披露してくれるのか、どちらも愉しみ愉しみ。
芸術の秋って、ホントなんだよ。

2011年10月23日日曜日

Vans.

東京モード学園の翔太クンに、何か良いスニーカーはないかって訊くと、「VANSのがいいですよ。ボクは好きです」との返信があったので、今度はこれを買ってみよう。
30歳下の友人に教えを請う。また愉しからずや。

2011年10月22日土曜日

ベニア板。

ソファーの横の空いたスペースにアンプとCDプレイヤーを置くことにした。その際、台が必要なので庭で暇そうにしていた椅子の天板を取り外し、安価なベニヤ板を買ってきてベストな大きさに切って釘で打ちつけた。オッケー、ちょっと色のバランスが悪いので、そのうち水性ペンキを買ってきてハケで塗るとするかぁ。色は赤にしようと思ってるよ。
東に赤、西に黄色。風水ではそうなってるからね。でゎでゎ。

2011年10月21日金曜日

スマートフォン。

当初はスマートフォンより、らくらくフォンの方が向いてると、からかわれた私ではあったが、今日現在、スマートフォン(機種はギャラクシーS)を見事に使いこなしている。
凄いでしょ?以上。

2011年10月20日木曜日

ミル・マスカラスとフリオ・イグレシアス。

身内トークのときに使う、自分オリジナルの言いまわしってあるよね?例えば、その手は桑名の焼きハマグリとゆーところを、私の場合はその手は桑名の正博だと言ってしまうし、頑張ってる振りをしてる奴に対し、あいつはフリオ・イグレシアスだと揶揄したりする。
最近、安くて良いマスカラが市販されているせいか、昔の芸能人みたいな付け睫毛の女が量産されているのに気付く人は少なくないだろう。街の至るところやオフィスで彼女らは散見され、その人の実力以上のルックスを周辺に撒き散らしている。メーカーも「天まで届けマスカラ」なーんてネーミングの商品を供給したりして、その伝播を煽っているようでもある。
なので最近、私は彼女らをやや嘲笑気味に「ミル・マスカラス」と呼ぶようにしている。
ミル・マスカラスはメキシコのプロレスラーで今は引退してるんじゃないかって思うけど、彼は現役時代、千の顔を持つ男と称され毎試合ごとに異なるマスクをして登場し、ファンを喜ばせていた。実力は超一流ではなかったが、営業努力とゆーか、そのサービス精神は群を抜いていた。
ところで、元祖マスカラスは魅せるバリエーションが豊富にあったのだが、巷のマスカラスはどうだろうか?
何だか画一化されたルックスに収斂する傾向が顕著のようで、どの子も同じに見えてしまう。そのパターン化を見るにつれ金太郎飴を連想してしまうのは私だけだろうか?どこを切っても同じ顔が出てくるのだ。流行とかファッションは多様化・個性化・専門化していい筈なのに、ある意味、均一化していっているよーに思える。安きに流れないで、もうちょっと頭を使って欲しい。
マスカラスだらけの平成の日本女性に対し、警鐘を鳴らしておきたい。

2011年10月19日水曜日

契約もらった、うれしーなー。

写真はタイのインラック首相だけど、豪雨による対策ってゆーか、危機管理のお手並みはいかがなものか?具体的かつ有効な指示を連続して出し続けられるかどうかの手腕が問われるわけだ。
私はとゆーと、今日は医療保険の契約を2本もらい、すごく気分がいい。コミッションは高いし、お客様も守れる。なんだかうれしいなあ。
ありがとう!

2011年10月18日火曜日

来年の年賀状写真!

今年は愛犬ドンキーが死んでしまったので、来年の年賀状写真は彼の代わりに私が出るしかなく、いい写真がないかなーって考えてたところ、土日のお祭りでいい感じのものが撮れたのでこれにするわ。私から直接年賀状が届く、全国の約200名の皆さん、お楽しみにねー!

2011年10月17日月曜日

トリプルタンギングのできない私。

画像は私のトランペット・キャサリン。その楽器を持って本郷にレッスンに行ったのだけれど、今日のお題はトリプルタンギングであった。でね、班目先生の示したシラブルって口で言う呪文みたいなやつなんだけどー、おれって全然対応できないの。
才能ってゆーか、舌の機能ってゆーか、非常に劣っていることに気付いたのよ。できないって、正直、きついわ。そのうちにできるようにはなるんだろうけれど、その場で反芻できないってことに腹立たしさを禁じ得なかったぞ。
カックン。

2011年10月16日日曜日

松戸神社祭り。

今日は地元で1番大きなイベント、松戸神社祭りの神輿の先頭で、町内を代表して「三丁目西」と書かれた旗を持って町内を練り歩く。
小競り合いや派手な喧嘩がなければいいのだが。都内各地から来る担ぎ手のメンバー同士のトラブルとかがあった場合、地元民はその仲裁に割って入らないといけないので骨が折れる。
今、ローマ、リスボン、アテネ、マドリッドでデモ隊と地元警察が、ぶつかってるみたいだけど、その動機が若年層の雇用だから相当に程度が低いって思うよ。
基本的人権を主張するとか国の独立を目的とするデモならまだしも、国が悪い、社会が悪い、政治が悪い。なので仕事がないってゆーんだから、お前ら何なのよって言いたい。自分の食い扶持ぐらい自分で探せよ。頭、使いなさいよ。頭が無かったら、頼めよ。
本当にブラサガリ傾向が改善しないルーズな社会になってしまったんだなーって、溜息が出るよ。せめて、最低でもおれと同じぐらいは仕事しなさいってば!
さあ、お祭りに行って来るよ。

2011年10月14日金曜日

たまらなくアーベイン。

現在、フェイスブックのヘビーユーザーとなってしまった私が、そこに動画を配信する際の種本が、写真の田中康夫が大昔に書いた「たまらなくアーベイン」ってゆータイトルのエッセイ集である。
書斎の奥に眠っていたこの本は、1度も読まれなかったのだが32年の歳月を閲し、やっと日の目を見た感じだ。内容はチャラ男だったころの田中康夫がアダルトコンテンポラリーな曲の紹介を独断で行ったものだ。いかんせん田中康夫自体に音楽の才能が無いので、的外れな記述も多いが、モテない男がモテたいと思い、女心をくすぐるためのツールとしての楽曲を100曲セレクトしているので、なかなかに重宝する。
モノは使いようなんだな。

2011年10月13日木曜日

タニマチ。

琴奨菊の大関昇進を機に、佐渡ヶ嶽部屋のタニマチになることにした。タニマチの言葉の由来は、昔、大阪の谷町筋に裕福な相撲ファンが大勢いて、物心両面にわたって、相撲取りの面倒をみていたようで、タニマチは地名であると同時に後援者の代名詞として現在では使われている。
で、私は資産家ではないので、年会費3万円を1月に支払うことで佐渡ヶ嶽部屋後援会メンバーを名乗ることができるのよ。
メリットは、千秋楽祝賀会のご招待、部屋名入り浴衣地配布、年6場所の番付票配布、カレンダーの配布、部屋の稽古見学及びチャンコ鍋会食である。
ま、部屋の若い衆の米代の一部になればいいと思っている。
あと、部屋の重鎮、琴光喜の角界復帰を切に願っている。

2011年10月12日水曜日

英語でのセールス。

岩本町近辺で待ち合わせ、ある外国人の方に生命保険に加入してもらった。
生命保険のセールスは細かいところまで、きちんと説明をし、お客様が納得し得心もしてもらって初めて契約に至り、お客様の健康状態を告知してもらったり、医師の診断を必要としたりするので通常の新契約でも手間がかかるところを、今回は外国人のお客様ということで、丁寧に言葉を選びつつ英語でセールスをした。商品のニュアンスが100パーセント相手に伝わったかどうかは疑問だが、まあ、自分ではかなり良い出来のセールストークが構築でき成約に至った。
実際、このパターンをずっと続けていければ、私の英語力は格段にアップするだろうから、今後とも外国人の方の新契約はウエルカムだ。
テクニック的なことはさておいて、人として相手から信用・信頼されているかどうかってゆー点が大事なのは言うまでもないけれど、基本的な日常会話ができたことが大きかったような気がする。
伊達にアテネフランセに通っていたわけではなかったんだーと、変な自負心が心の中で芽生えてくる。思えば、英会話においては、本当に沢山の恥をかいてきたんだなあと感慨もひとしおだ。
まあ、一件落着といったところか。
ありがとうございました。

2011年10月11日火曜日

フェイスブックの猛威。

最近はブログが疎かになってきていて申し訳ない気がするが、フェイスブック友が106人になってしまい、その対応に追われている。その殆んどが、うら若き女性なので、どうしてもそちらに優先順位が移ってしまうとゆーか重要かつ緊急って感じになってしまい、この流れは当分変えられそうにないよーに思う。
世界の8億人が、現在利用していると言われるフェイスブック。猛威と言っても過言ではない。この先、500人、1000人と友達が増えていく過程で、そのうちに日本語を使うのが面倒になってくるよーな気がしている。
これは日本人にとっては由々しき問題であるといえる。アルファベット26文字だけあればナントカなる英語。この手軽さといったら、本当に便利なのだ。あと100年もしたら正確な日本語を使える日本人がいなくなってしまうんじゃーないのかな?
フェイスブックを日々、利用していてそんなことを考えてみたよぅ。以上です。

2011年10月10日月曜日

ちあきなおみ。

最近女性週刊誌で、亡夫の墓前で号泣する元歌手の、ちあきなおみをチラ見した。もう70歳近いので、一般人のおばあさんに近いイメージだが、YOUTUBEでその映像を注視してみると、歌唱、ドラマ性、瞬発力、ルックス、オーラ、必死さのどれをとっても超一流で、昭和の時代の奥深さを垣間見ることができる。俗に三部作といわれている「劇場」、「喝采」、「夜間飛行」を今一度じっくりと聴いてみて、ああ凄いなあと溜息が出るのは私だけではない筈だ。
特におすすめしたいのは「劇場」の歌詞の2番からだ。一反、スイッチが入ったらどうにもとまらない。200パーセント、全力投球の映像が観られる。
早速、YOUTUBEで検索してみて欲しい。ぜひぜひお奨めをしたい秀逸なコンテンツである。

2011年10月9日日曜日

買わない物・やらないこと。

私が買わない物。車。馬券。タバコ。新聞。週刊誌。月刊誌。傘。果物。バイク。腕時計。マンション。マッコリ。発泡酒。ドッグフード。CD.
私がやらないこと。競馬。パチンコ。麻雀。スキューバダイビング。ドライブ。トランプ。新興宗教。ドラッグ。不純異性交遊。

2011年10月8日土曜日

リア充。

シェイクスピアの4大悲劇の1つ「リア王」は小学生のときの国語の時間でお馴染みだが、今日取り上げるのは、新語の「リア充」!
これって、リアルに充実してるってことで、非リア充ってゆーと、バーチャル専門で実際には何にもやれてない人のことを呼ぶらしい。非リア充の人たちからみれば、リア充の人たちは敵ってことになるのかなぁ?
私は、絶対にリア充の仲間に入りたいと切に思っている。以上。

2011年10月7日金曜日

1万円の背広。

景気付けに背広を買った。新橋の「コナカ・ザ・フラッグ」とゆーデザイナーの佐藤可士和がデザインしたお店でだ。
でね、私は175cmなんだけどー、それは公称で実際には174cmしかないってことを白状しておくけど、この店では身長別に各フロアに客が赴かねばならないシステムだ。地下1階に降りる身長161cmの人の無念を思うと、目頭が熱くなる。ちぃっちゃい人間は子供扱いするこのシステムに憤りを感じるのは私だけだろうか?
佐藤可士和が、そーいったコンセプトを支持したのかどうかは知らないが、これって差別っぽくないのかしら?長身の連中は優越感を持って上のフロアへ。チビは地下へ。
どうかと思うよ、このシステム!

2011年10月6日木曜日

仕事絶好調!

10月は新契約がバタバタと取れている。調子良過ぎる。このペースで11月、12月と乗り切れそうだ。なので、年末年始には相当うまいものが食えるんじゃーないかなぁ?確かに10月に入ってスイッチが入ってしまい、何かにつけて前向きになっている。向き不向きより前向き。チンチンと政治は右向き。来年からの3年間は運気も良いし、キャッシュリッチになれるんじゃーないかなってゆー自信が確信に変わってきたよぅ。活動量も多めだし、人に対してやさしくなってるし、健康状態もすこぶる良い。当分は後先のことを考えず、突っ込んでいきたいなーって考えてるよ。以上。

2011年10月4日火曜日

手抜き。

1ヶ月のアクセス数のレコードを9月につくった。当ブログの話である。何と9945件のアクセスがあったのだ。しかも、9月は最も内容的に手抜きをした月なのにである。
読者の皆さんに申し訳ない気持ちでいっぱいだ。この場を借りてお詫びをしたい。
理由は仕事が忙しくなってきたことに加え、フェイスブックを始めた影響が大きい。これは今後の課題だが、フェイスブックの手軽さとブログの手間を秤にかけてしまい、安きに流れたといった感じが否めない。ごめんね。
今後の課題としたいが、正直、フェイスブックの面白さに嵌ってしまったとゆーのが本当のところだ。以後、気をつけます。シャーツーツーイー。

2011年10月3日月曜日

福島・郡山。

出張で、福島・郡山に行ってきた。冷たい雨が降っていて、その雨には放射能が必ず含まれているだろうから、相当量を浴びた格好になる。でもね、そんなことはどうだっていい。
街は、銀座とか渋谷とかには劣るけど、震災絡みの様々なイベントが至る所で催されていて、特にロックバンドの生演奏などは結構弾けていて充分に楽しめた。
この街の復興は若者がやるべきだ。年寄りに較べて元気があるもん。古い舟を漕ぐには、いつの時代も若い水夫が必要だ。ここで4年半を過ごした私はこの街に愛着がある。
みんなで盛り上げていくしかないなぁ。そのためのお手伝いをすることに、やぶさかではない私がここにいる。長い時間をかけて、少しずつ少しずつ改善していこうではあーりませんか!

2011年10月1日土曜日

なんてったってアイドル。

キャー、ウルトラセブンのアンヌ隊員役の、ひし美ゆり子さんとフェイスブック友になったもんねー。これは嬉しいよ。
私の中でのアイドルは仮面ライダーの藤岡弘さんと彼女が双璧をなす。なんてったってアイドル、間違いないよ。で、彼女は現在64歳。調布市で中華料理屋を夫婦で営んでいるらしい。フェイスブックで頻繁にやりとりが出来、先方の私に対する認知度が上がってきたら、お店に食べに行って、名刺を渡し、保険のセールスに繋げ、新契約の暁を迎えたいものだ。そう、上手くはいかないだろうけど、いろんな人に会いにいける私の仕事って、愉しいかもしれないなぁー。