2012年9月30日日曜日

台風17号。

台風17号が接近してきている。今は大雨の振り出した午後6時20分。これから上野で飲み会があり(スタートは9時の予定)、中止のメールがまだ来ないのでそのまんま決行だろう。結構だ。
今回の台風は大きいとゆーか強力なそれらしく、表のオリーブと月桂樹の樹が折れたり曲ったりしないかが心配だ。ここ数年来で初めて1階の窓を覆う3つのシャッターを閉めた。2階の2つのシャッターも後で閉めにいこう。Be prepare.雨音が激しい。とにかく、大事にならねばいいのだが…。

2012年9月29日土曜日

スケジュール管理。

写真はヴァンクーヴァーで食べたニガ瓜かゴーヤのよーな炒めものと餃子のよーな豚肉の包みなのだが、想定外の美味さに舌鼓を打ってしまった。。
しかし、日々のルーチンに関してはスケジュールに沿って自分で型にハメていかないとどうにもならないものである。1週間を木曜日にスタートさせ、水曜日に閉めるとゆーやり方を踏襲して早や2年近くが過ぎた。そのやり方は間違っていないので変えるつもりは毛頭ないが、その中身を吟味していく時期にきているよーに思っている。制度とゆーかシステムは必ず劣化するからだ。
やはり仕事中心のルーチンにならざるを得ないが、10月の半ばを目処に大幅にスケジュールの変更をするつもりである。要は木曜日は一切仕事をせず、金土日と月火水を2つのグループに分けて行動することに決定した。詳細は後日書くつもりだが、このスケジュール管理とゆーか週間ルーチンが上手く回っていくことで、私が当初から計画している3ヶ月に1回の外遊が実現できるのだと思う。
日々、自分で仮説と検証を繰り返しながら、ビヘイビアを修正していく。こればっかりは猫の手を借りる訳にはいかない。

2012年9月28日金曜日

各種支払い。

この日は住宅ローン、生命保険料、固定資産税、定期代、ドコモ料金、Eモバイルブロバイダー料の支払い、他2件の振込等があり、万券がバタバタと消えて行ってしまった。切ないなあ。しかし、ものは考えようでこれを支払いと思うか、貯蓄とか自己投資だと思うかで気持ち的にスッキリ感が違ってくるよーに思う。
私は、これらの支払いをすることで豊かさのストックがどんどん溜まっているのだと考えるよーにしている。人生を愉しむためのコストであることは確かだし、仮にそれがどんどん増えて溜まっていくものだとしたら、支払う段にそれほどの躊躇はなくなる筈だ。寧ろ、うれしくたのしいイベントとして、支払いそれ自体をポジティブに捉えることも可能だ。
イヤイヤやっていたのでは、いつまで経っても笑顔にはなれない。なので、各種支払いはニコニコ顔でするよーにいたしましょう。

2012年9月27日木曜日

すっぽかし。

正確にゆーと、すっぽかしではなくてWブッキングなのだが、この9月に私は2件のミスを犯してしまった。 関係各位には申し訳なく、心からお詫びを申し上げる。1件目は3日前、学生時代からの友人のK氏に対してで、昼に東京駅構内のスタバで落ち合うアポを前日にフィクスしていたにも拘わらず、どーゆーわけか私はそこに行けなかった。彼は今や、名門のゼネコンの執行役員なので社会的にはVIP待遇に近い、お嬢さんも今年学習院大学に入学してプライベートでもノリノリの彼を30分待たせた上に、結局、その場所に私は行くことがなく、先方からかかってきた電話に出て一言、謝っただけである。恐縮至極だなあ。彼は怒ってはいなかったものの正直、呆れていたのではないかと思う。ゴメンネ。許したもれ。
2つめは本日、インド人のシタール先生に対してだ。今日は13時30分から秋葉原で1時間の英会話レッスンの日であった。私のスマホにも2週間前からその記録が残っているにも拘わらずだ。
主たる要因はこうだ。今日が木曜日であるのに、私の全くの勘違いから、私は今日が水曜日だと思い込んでいた。私はその時間帯に、まだ自宅にいて、結果、レッスンは流れてしまった。彼女から電話があり、間違いに気付いた私が丁寧に詫びたものの、後味の悪さが相当残った。15時から池袋で、別のレッスンを抱えていた彼女はそのままそちらに移動した。甚だ申し訳ない。
1ヶ月のなかで結果的に2回の致命的なミスを重ねてしまった私は相当落ち込んでいる。昨夜、四谷の令夫人様のオゴリで酒を飲んだあたりから精神的に高揚したり、リラックスし過ぎたりで、気が緩んでしまったのだ。溜息が出る。
上記2名様に対しては今一度、誠心誠意、謝罪をし、近日中に必ず、リカバリーショットを打たねばならない。本当にそう思う。すいませんでした。

2012年9月25日火曜日

御土産。

台北土産はないんだけどー、ヴァンクーヴァー土産ならあるよ。ピンボケの写真になっちゃったのは、ご愛嬌。上の黒い物体はカナダ・トロント発のMACのルージュ。ヴァンクーヴァーの女子大生に1番人気のある色を地元の美容部員のおねーさんに選んでもらった。これは某女子大1年生のY菜チャン18歳に。その下で鍋敷きみたいになっているUBC(ブリティッシュコロンビア州立大学)オリジナルのノートは猫シッターをお願いしたY氏51歳に。日頃の感謝のしるしとして。いつもありがとうね。

2012年9月24日月曜日

世界一住みやすい都市。

英誌エコノミストの調査部門であるエコノミストインテリジェンスユニットが先頃発表した住みやすい都市のランキングによるとベスト10とワースト10は以下のよーになる。

         ベスト                     ワースト
1 ヴァンクーヴァー(カナダ)          1 ハラレ(ジンバブエ)
2 メルボルン(オーストラリア)         2 ダッカ(バングラディシュ)
3 ウイーン(オーストリア)                                3 ポートモレスビー(パフアニューギニア)
4 トロント(カナダ)                4 ラゴス(ナイジェリア)
5 カルガリー(カナダ)              5 アルジェ(アルジェリア)
6 ヘルシンキ(フィンランド)           6 カラチ(パキスタン)
7 シドニー(オーストラリア)           7 ドゥアラ(カメルーン)
8 パース(オーストラリア)            8 テヘラン(イラン)
9 アデレード(オーストラリア)          9 ダカール(セネガル)
10 オークランド(ニュージーランド)      10 コロンボ(スリランカ)

でもね、これは間違ってるよ。これを選んだ連中は比較的高学歴にもかかわらず、現在はそれほど裕福でなくなってしまった奴らで、所詮は自分達の好みを反映させたデータによる我田引水の調査結果によるものなんじゃないかなって思うのだ。因みに大阪が12位で東京が18位らしいけど、これだってどうなのかわからないし、第一、センスが無さ過ぎるってば。
そもそも、ベストに羅列されている都市はアングロサクソンの好きそうな気候の都市や英語圏ばかりであるし、これら10都市に加点した人たちが、実際に10都市全部に住んだわけではないだろうから極めて不正確かつ整合性を欠く。ましてやワースト部門の10都市に関しては、居住した経験も無ければ、1回も足を運んだことがないってゆーのが本当のところかもしれない。
格付機関による発行体の格付が怪しいのと同様に、この10都市ランキングからは変な匂いが漂ってくる。場合によっては、いくつかの自治体が、この雑誌の広告主であったり、もっと露骨に金で買収されている可能性だってゼロとは言えないだろう。
なので私は、このランキングに異議を申し立てたい。
一般大衆は一見、権威のありそーなデータを鵜呑みにする傾向が顕著で、時として、それを妄信してしまい、ミスリードされても気が付かないことが多い。
ところで、私のベスト1はどの都市かとゆーと、ズバリ、松戸である。私の自宅から1分以内に2件のコンビニ(24H)、3分以内に都銀が2行、百貨店が1店。5分以内にJR常磐線、地下鉄千代田線、新京成線のターミナル駅があり、歩いてゴルフ場にも行ける。家のそばを流れる江戸川は風光明媚で、晴れた日には遠く富士山も見える。
人口49万人。ヴァンクーヴァーの61万人と比較しても遜色ないとゆーか、寧ろ快適な規模だ。
私は今、世界一住みやすい都市に住んでいるのだと真面目にそう思っている。感謝の気持ちでいっぱいだ。

2012年9月23日日曜日

パリ・イスタンブール。

てなわけで、12月の外遊先はイスタンブール→ソフィアから、パリ→イスタンブールに変更しました。宿泊先のホテルはパリがコンコルドモンパルナス、イスタンブールがイスタンブールトレンドに決定しました。いずれも中堅どころのホテルなんだけど、立地が抜群に良い。なのでリッチな気分に浸れるってことね。航空会社はエールフランスを初めて使う予定なので、どんな感じだろうか? パリに2泊、イヌタンブールに2泊。それぞれが見どころ満載って感じで、気分はすこぶる高揚してくる。
ところで、小さな夢の実現にはそれなりの努力をし、着々と手を打ってきてる私だけれど、なんだか遊んでるだけのよーな気がしないでもない。緩み過ぎかも。
仕事面で、9月は、もちろん望みを捨ててないんだけど、10月11月に至っては特に、大きめの数字が必要だ。グリップのしっかりした顧客に対し、まともなプレゼンをして、かつてのよーなボリュームの挙績を打てないと、正直、尻すぼみの状態で新年を迎えることになってしまう。それだけは避けたい。
なんとしても、これまでの人脈を活かしつつ、結果に繋げていきたい。結果の出ないものは仕事ではない。この際、プロセスなんてどうでもいいので、丁寧にサクサクと、爽やかにしつこく、新しい契約を1つ1つ積み重ねていきたい。

2012年9月22日土曜日

夫婦喧嘩。

写真は本文と全く関係のない老夫婦で、ヴァンクーヴァーのバラード湾を渡るシーバスの船上で撮影したものを使用。悪しからず。この日、ご近所で夫婦喧嘩があり、それぞれが大声で外に聞こえるよーに話すのと、その内容に興味があったので、悪いなあと思いつつ、耳をダンボにして聴いてしまった。甚だ申し訳ない。
内容は、どこの家庭にもある話で、詳細は書かないけれど大筋はこうだ。
会社の業績が振るわないので、ご主人の年収が例年よりも下がったらしく、奥さんが激昂している。家計の中でも大きな支出を占める住宅ローンの大半を奥さんが支払っている模様で、「全部自分で計算してみなさいよ!」と怒っている。ご主人は、非常に素直な人らしく、収入が少なくなったことを反省し詫びているのに、奥さんは今後どうするのか、収入を増やすための具体的な代案はあるのか、そしてそのために普段、どういった努力をしているのかを詰問している。こーゆー問題は、デフレの今、どこの家庭でも起こりがちだ。なので、私からすると全くサプライズのない、ごく普通の出来事でしかない。要は感情的に拗れてしまっている部分が厄介なだけだ。もし仮に、私に相談を振ってくれれば、幾つかの具体策を自信を持って打てるのにねぇ…。以下はその詳細である。
①収入を増やす。②支出を減らす。③その両方をやる。

これって極めてFP的な手法になってしまうんだけど、この3つの方法で簡単に解決ができる。①本業に差し障りのない程度にネットビジネスで副収入を得る。土日にアルバイトをする。不動産があれば売却する。両親に余裕があれば援助してもらう。②タバコを吸うのを止める。飲みに行かない。家族での外食、旅行を暫くの間、凍結する。盆暮れ正月に里帰りをしない。夫婦や子供の習い事、子供の学習塾を退会し、自習する。車やゴルフ会員権や美術品があれば売却する。お互いのクレジットカードをハサミで切る。銀行に行き、住宅ローンの見直しをする。③これらの内、全部ができればもう夫婦喧嘩はなくなるだろう。全部できなくても、幾つかをピックアップして実行できれば家庭内に笑顔が戻ってくることは間違いない。そう断言できる。
もっと徹底してやるなら、ケータイのパケ放題を止めて、インターネットプロバイダー料金に一元化する。近所には徒歩20秒でローソンショップ100、同40秒でセブンイレブンがあるのだから冷蔵庫の電源は切る。風呂はシャワーのみ。そうすれば電気、水道、ガスの3点セットがバカ安になる。生命保険はお金の貯まるタイプから掛け捨てタイプに変更。もしくは無保険でも可。1日3食から1日1食へのシステムの変更。散髪は1000円で月1回、奥さんもそこで髪を切る(美容院との決別)。パチンコ、競馬、麻雀の類は一切やらない。そこまでできれば、経済的には完全に盛り返せる。収支均衡どころか、毎月お金が余り、貯蓄に回せるよーになるのは必定だ。

私に相談してください。

2012年9月21日金曜日

Taipei Taoyuan airport.

ここ台北桃園(チャンロン)国際空港には祈祷室なるものがあって、主にイスラム教徒のためのものなのだが、成田にはあるのだろうか? 私は初めて見たので写真を撮ってしまったのだけれど、イスラム教徒が中にいてフラッシュに気付いたら怒っちゃうんだろうなあ。ここの免税店は韓国のインチョン国際空港と同じく、酒は高いがタバコが安い。マルボロライトが132円、マイルドセブンライトが148円であった。なので、日本の喫煙者は相当、馬鹿にされてるってことだな。
あと、この国際空港はなるたけ早く、市街地までのアクセス鉄道を敷設しないと国際競争に勝てないだろう。バスで90分もの時間を費消してまで台北の中心部に行くのは、あまり快適なことではない。遠過ぎるしー。

2012年9月20日木曜日

通貨。

時計の12時のあたりにあるのが日本円。2時から4時にかけてがカナダドル。7時から9時にかけてがニュー台湾ドルだ。今は使わない言い方かもしれないが、私のポケットに入ったまま、台湾国内に来てしまった日本円のことをユーロ円という。そのまま訳せばヨーロッパの円ってことなのだが、世界の金融の中心であるニューヨークからするとユーロすなわちヨーロッパは「外国の」とゆー意味で使われ、その結果ユーロダラーとゆー呼び方で外国にある米ドルを、アメリカ国内にある米ドルと区別するようになった。なので私が台北で牛肉麺を食っているときにポケットの中に入っていた日本円はユーロ円ってことになる。
ことほど左様に、私の書斎には両替されずに、日本に入国したユーロ外貨がわんさと眠っている。彼らが再び本国の土を踏み、陽の目をみるためには、再度、私のポケットに入り同国に戻るしか手立てはない。
結論。彼らを里帰りさせるためにも、私はもっと働かねばならない。だよね?

2012年9月19日水曜日

University of British Columbia.

この近くには高級住宅街があって、そう遠くない将来、夏の3ヶ月間はここに住んで、この大学に通いたいと思ってるんだけど、その下見を兼ねてキャンパス内を歩いてみた。すると、広大な敷地内を1人で白い杖を持って歩く中国人女子学生の姿が目に入った。白い杖の先にローラーが付いていてスムースに動く仕掛けなのだが、果たして彼女は時間内に教室に辿り着けるのだろうか。他の学生は基本的に知らん振りで、これは不親切なのではなく、彼女の自立のために敢えて助けないのではないかと思うくらいに関知はしないのだ。20歳前後の彼女が今後どのよーに生きていくのか、私は知らない。ヘレン・ケラーのよーに大化けするのかもしれないし、ごく自然に結婚して普通の幸せを手に入れるのかもしれない。思うに、彼女は点字で入試に合格し、単位取得に関しても他の学生より高いプレッシャーの中でストラグルに勝ち抜いていこうとしている。盲目を言い訳に家から一歩も出ないとゆー選択もアリなのに、彼女のチャレンジは至極立派なことで、瞬時に私の胸を打った。国や企業の支援を多少は享受できるのだろうが、基本、盲目が強烈なハンデであることは間違いない。
因みに、私の視力は0.2と0.3である。細かい字は見えないものの、日常生活で困ったことは全くない。見え過ぎなくて丁度いいくらいだ。しかも、頭は平均的でルックスで損をした経験がない。175cmの身長は、ここ北米でも決してチビではない。喧嘩も自分では強いと思っているし、多少の語学力があり、文章もそんなに下手ではない。年齢は52歳になってしまったが、体力に恵まれているばかりか精力にも問題はない。仕事もそれなりにこなしているし、都営八柱霊園に墓地だってある。家もあるし、夢もある。しかも歌が上手い。今、私に足りないのは愛だけかもしれないので、贅沢は言えない。
盲目の彼女を見て、私自身の今後の可能性と展開力に自分自身で期待をしようとゆー思いが高まってきた。猫のアナスタシアを育てるとゆー責任もあるので、毎日の時間のキャリーの中で、自分にできることを1つずつ、自分にしかできない方法で積み重ねていきたい。彼女の後姿から私が学び取ったことはそーゆーことだ。なので、私がUBCに足を運んだことは大成功であったと考えている。以上。

BCロール。

写真はBCロールといって、ブリティッシュコロンビア巻とゆーお寿司だ。別にバンクーバーロールとゆーのもあって、これは生サーモンが乗って、蟹カマボコが挟んである。
BCロールはバンクーバーロールより安く、焼いたサーモンとカイワレを巻いている。別途、この店(亀井ロイヤル)オリジナルで真央ちゃんロールとゆーのがあって、これはハート型の巻寿司で、1番高い。浅田真央はフィギュアスケートの選手なので、カナダのこの店に頻繁に来て握っていたのだろう。
で、私がこの1皿(BCロール)にいくら払ったかとゆーと、税込みで6.16カナダドル。なので日本円で492円。極めて安上がりの食事だ。地元の高級店に入って堂々と1皿だけ食べて出る私は、エグゼの貫禄充分なのかもしれない。
なお、寿司米はカリフォルニア米、塩はブリティッシュコロンビア州産で、お酢のみ日本から仕入れているのだという。30年前に築地の亀井鮨の暖簾分けでできたお店だが、築地のお店は潰れてしまったらしい。
ミニ情報でしょ?

2012年9月18日火曜日

ヴァンクーヴァーのチャイナタウン。

昔、馳星周の「ダーク・ムーン」とゆー小説を読んだことがある。確か、ヴァンクーヴァーのチャイナタウンを舞台にしたそれだったと思うが、ここの魔都としての存在感は以前にも増して鈍い光を放ち、ドス黒く輝いているようだった。
私が現地を訪れたのは9月の中旬、午後3時から5時までの2時間。想像していたよりも中国人の数は少なく、実際には空店舗が目立っていた。各国から集まった移民たちと、地元のギャングたちが醸す治安の悪さから、大多数の中国人たちが逃げ出したとゆーのが本当のようだ。スカイトレインとゆー地下鉄(ダウンタウン以外では地上を走行する)で7つ先のメトロタウンと銘打った郊外の街が、今では新しい中華街にとって代わっている。
旧中華街。白、黒、黄色。そこは人種の坩堝であった。アラブ系、インド系、ラテン系、ギリシャ系、フランス系、日系、アフリカ人等々、社会の底辺とおぼしき連中がタムロっていた。意味も無くゴミ箱に蹴りを入れ続ける者、つい今しがた仕事をしてきた感の湯気の立った娼婦、足を引き摺り杖をついて歩く者、腐臭を放ち皮膚が爛れた男、ラリった中年女性、顔に縦長の傷跡のある老人。暗い目をした幼児。カン高い声で笑い続ける野鳥のよーな人間、物憂げな少女の妊婦、私に「ボーイ、カムヒア」と言ながら近づいて来る巨漢の黒人…。
ヴァンクーヴァーの光と影…。もちろん、影の部分を受け持つのはこの街だろう。私がこのチャイナタウンで缶ビールを買った酒屋の女主人に、ここの治安を訊いてみた。
「Pretty safe」との返事。開いた口が塞がらなかった。
乞食を許す鷹揚さの全く無い生粋のダウンタウン。無抵抗で横たわっているだけの彼らは、嬲り殺しに遭うのが関の山だろう。乞食はロブソン通りやギャスタウンの明るい場所とか、無料で乗車できる地下鉄を利用して辿り着いた郊外の街でのみ、その生存を許される。
夜から未明にかけてのこの街に、私は入る勇気がなかった。てゆーか、その必要もなかった。
私は、ひたすら明るくポジティブに生きていきたいと思う。奈落の底、嘆きの谷、絶望の海はノーサンキューだ。人はそれぞれの立ち位置で1日を過ごす。
それでいいのだと思う。

足裏マッサージ。

40分450ニュー台湾ドルでやってもらった。日本円で1215円。安いんだか高いんだかよく判らないけど、とにかく気持ちよかった。シューフー。
ところで、ニュー台湾ドルって、昔、発券していたオールド台湾ドルと区別する意味でそう呼んでるらしいけど、地元ではストレートに元ってゆーし、お札や硬貨には円って表記がある。微妙なことではあるけど、こーゆーことはよくある。
貸借対照表の資本のことを自己資本、株主資本、純資産って呼ぶし、資産のことを使用総資本と言い換えたりするから…。気にしない気にしない。
気持ちよければ、それでいいのだ。
昔、福永法源とゆーサギ的宗教家がいて、足裏診断とゆー画期的なアイデアで法外な金を儲けていたよーだが、足裏マッサージぐらいにしてリーズナブルな価格でサービスを提供しておけば捕まらずに済んだのにねー。以上。

2012年9月16日日曜日

Too late!


台湾で、バスが定刻通りに来ないどころか、空港まで1時間30分もかかるのに、便が超絶に遅れて、2時間半待っても来ないのだ。アンバサダーホテル前のバス停で、私と地元のオバチャン、若いOLの3人は、本当に2時間半待った。ホテルのベルボーイに聴くと30分に1台必ず来るから待っててと言う。一緒に待ったオバチャンも絶対に来るから待ちなさいと言う。
日本人はせっかちなのだろうか? 私は我慢して待ち続けた。30分に1便があるのなら少なくとも4便は到着してる筈。なのに1台も来ない。私はアンバサダーホテル前で待つのを諦め、台北駅前まで地下鉄で行き、そこから全力疾走。途中6人ほどの通行人に桃園空港行きのバス停を英語と北京語で尋ね、事無きを得た。バスに乗り込んでからはプチ放心状態の後、小1時間の爆睡。気が付いたら空港に来ていた。そこから出国審査を経てゲートまで走る走る。走る。その結果、間に合ってただただハッピーであった。この便を逃すと、私には未来がなかった。
南国は金にルーズ、北国は時間にルーズってゆーのが私の隠さざる認識なのだが、こと台湾に限っては時間にルーズ。これはマズいってば。バスはストでもやっていたのか、それとも、この日に限ってルートを変えたのか? どちらでもいいけど、1回、上海浦東空港で成田行きの便に乗り遅れ、再度、別会社で新しく切符を買い(メッチャ余計な出費)、知多半島にある中部国際空港に着陸し、名古屋駅前まで戻り、そこから東名ハイウェイバスで早朝に東京駅日本橋口に辿り着いたトホホ経験があるので、正直、心臓バクバク発狂寸前の状態だったのだ。
ま、とりあえず第一関門突破って感じかな?
追伸。写真の牛肉麺は滅茶苦茶美味かったよぅ。

行くぞー!

まだ、何も準備してないけど、朝、起きたら電光石火で荷造りをして松戸→新鎌ヶ谷→成田空港第一ターミナルと乗り継いで、管制の指示に従う。いい写真がいっぱい撮れるといいなぁ。成田→台北→ヴァンクーヴァー。帰りはその逆。
今宵は藤沢則チャンとも喋ったしー、平野友菜にも御土産買って帰ろーっと。とにかく、見聞を広めてくるよ。でゎでゎ。少し眠る。

2012年9月15日土曜日

快適空間。

明日は成田から台北。台北から夢のヴァンクーヴァーに飛び立つ。予てからヴァンクーヴァーに行ってみたいなーと漠然と思ってはいたが、実際にゴルフクラブと釣竿を持ってこの地を訪れることは夢に近いよーな目標でしかなかった。
しかし、実現するのだ。ありがたいことだ。
自宅で朝、ゆっくりと目覚め、タンザニア産のコーヒーを挽いて飲んだ。猫と遊び、質素な食事を摂った。快適過ぎる空間が、そこにはあった。
台風16号とゆー大型のそれが、明日のフライトを邪魔するかもしれない。しかし、飛行機は暴風域の遥か上空を飛ぶし、パイロットの陳さんと呂さんは巧の技で私を、デスティネーションまで運んでくれるだろう。今回は荷物が多いので、どんな旅になるんだか想像もつかないけれど、もし、ヴァンクーヴァーが気に入ったら、将来、ここに1軒家を持つかもしれない。そんな予感が密かにしている。
もしそうなったら、猫のアナスタシアも、かの地に連れて行かねばなるまい。日常生活に支障をきたさない程度の英語力を身に付けておいたほーがいいってことを、後で話して聞かせる必要がありそうだ。でゎでゎ。

2012年9月14日金曜日

3つのニュース。

今日、気になったニュースが3つある。
1つめは「かしまし娘」のリーダー庄司歌江82歳が、12歳から21歳まで、ヒロポン中毒だったことのカミングアウト。2つめは24歳の東京外大の女子学生がアフリカからの麻薬の運び屋をやって捕まったこと。3つめは上海で日本人観光客が頭からラーメンをかけられて火傷した事件のあったことだ。
①昔の芸能界ってそんな感じだったんだなーって感想を持った。
②この女子大生に会って話を聴いてみたい。どんな学生生活でしたかとか、TOEICのスコアは何点だったかとか。
③上海の繁華街のド真ん中を白昼堂々、現地の若い女の子と腕を組んで歩いたことがあるが、今なら私も「お前は日本人か?」と引き留められ、頭からラーメンをブッかけられるのだろーか? 我が国が、尖閣諸島を政府主導で地権者から買い、国有化したことが原因なのだが、現在、各地で暴動が起こっているってことは、裏を返せば、実際には中国の景気が相当下向きになってきているってことの証左なのだと思う。2012年10月はアメリカ大統領選挙があり、11月、12月と、世界は大きく動き、変化しそうな様相を呈してきている。
ここから先は、正直、何が起こるかわからないってことだな。気を付けよう。小心!

2012年9月13日木曜日

救世主、現る。

困ったなーって思っていた。外遊するのはいいんだけど、愛猫アナスタシアをどうするかってことだ。獣医の経営するペットホテルは1泊3150円なので6泊すると18900円。しかも猫ゲージを購入しなければならない。先代のドンキーのゲージは大型犬用なので取り扱い不可だ。要は、25000円くらい余計なお金を費消することになる。しかも、ゲージ内で6日間も拉致されれば、猫なりにストレスが溜まるだろうことは想像に難くない。第1案、アウト!
で、隣家の松尾さんに頼むって方法を、考えた。「1日に1回餌をあげてください」。
実は、このキラートークが言えないのだ。とゆーのも、彼からは今後、半永久的に航空券を買うと決めているので、私が海外に出る度ごとに「えー、またぁ?」と呆れられ、気持ちよくチケットの発注を頼めなくなってしまい、引いては人間関係にビビが入ってしまうのを避けたいからだ。第2案も却下。
で、我が家のハス向かいのアキラ君とゆー30代半ばのフリーターがいて、彼にカギを渡し毎日見てもらうってアイデアが脳裏を掠めた。しかしだ。彼は生活が不規則で、安請け合いをしてくれる代わりに、まったく頼みごとを忘れてしまうよーな雰囲気を醸し出している。加えて、その後、何回か居酒屋に連れて行き、ご馳走しなくてはいけなくなったり、家の中をしっかり見学されてしまうのもなんとなく変な感じだ。なおかつ御土産を買ってくる必要も出てくる。面倒だ。第3案もパス。
最後に、私が最も信頼している中学生時代からの友人Y氏に頼むしかないと考え、本日の英会話レッスンの後、爽やかに当該案件をお願いした。
すると彼は3秒で快諾してくれ、16日と21日以外の4日間、大宮から東京外環自動車道を使って、車で通ってきてくれると言う。高速料金だけはお渡ししたが、ガソリン代、人件費、通信費も無料。破格の条件で無理をきいてくれた。
彼は私の保険のお客様でもあるので、あまり強いストロークで物言いはできないため、断られても仕方がないと思っていたにもかかわらず、気持ちよく了承してくれたので本当にありがたかった。助かった。渡りに船。地獄に仏。猫に小判(これは違うね)。
救世主現るとは、まさにこのことである。ありがとう!

2012年9月12日水曜日

無用の長物。

アマゾンで1980円で購入した。猫の自動餌やり器。
実際は自動なんてもんではなくって、単なる餌の保存容器だな。ヴァンクーヴァーから遠隔操作できるとまでは思ってないけど、予想以上のローテクに、がっかりすることしきりの私であった。アナスタシアは喜んでるけどねー。

2012年9月11日火曜日

千代田区の33度。

9月11日にもなるのに、東京の気温は33度。今はオフィスのある神田小川町にいるのだけれど、アスファルトの照り返しがキツく、体感温度は40度を超える。なんとまあ、熱帯のジャングルより熱いコンクリートジャングルを歩いて、三省堂本店に行ってみた。涼を求めて立ち読みに勤しむサラリーマンたち。10年前は私もそうであった。束の間の自由を求めてピンポイントで書店や喫茶店、図書館に行ったりした。
今は時間がふんだんにあるので、気兼ねなくどこにでも行けるし、朝の通勤ラッシュとも無縁の生活を手に入れた。
サラリーマン。朝、昼、晩と時間を費やし、どのくらい生産性とゆーか意味のある仕事をしているんだろうか? 日本経済の衰退と他国と比較した後進性は彼らの活動の質と量に比例するのではないかと考える。
自己保身のため、同じルール、同じプロセスを踏み、毎月25日にその対価を受取る生活…。 もしそうだったとしたら、彼らは決して充実した人生を送れているとは言えないだろう。灼熱の千代田区で、ふとそんなことを考えてみた。代案は無いんだけどねー。

2012年9月10日月曜日

年に4回、海外旅行に行く方法。

フェイスブック上で、よく飛行機が離陸する姿をアップしている御仁がいる。私とほぼ同年代の女性なのだが、「世界へ羽ばたきたい」とおっしゃる。しかしながら、ここ2年弱の間に彼女がパスポートを利用して旅行に行った形跡はない。そのくせ、普段の生活の中で頻繁に飲みに行って、その写真をアップしたりして楽しんでいる。子供の教育に金がかかる。なるほどそれは仕方が無いだろう。仕事で休みが取れない。うんうん。
でもね、おそらくだけど、彼女はあと5年経っても10年経っても海外には出られないだろう。なぜならば、本気で飛行機に乗るつもりがない、或いは強い願望がないと私には思えるからだ。
ここから先は推測だけど、彼女は喫煙者ではないかと思うのだ。1日1箱。飲みに行った日、彼女は1箱半か2箱のタバコを吸うだろう。1年間で440円×365日×1.2(係数)=19万2720円。飲みの方は週に2回程度行って、1回3500円として週7000円、月2万8000円、年33万6000円。なので、タバコ代と飲み代の合計は52万8720円。
この金額が彼女の年収からして多いのか少ないのか、それはわからない。
彼女がパブでシャンパンを飲んでいる間、私は自宅で缶詰を食べているかもしれない。彼女が書店で1600円の単行本を買ったその日、私はブックオフで105円の本をセカンダリーで手に入れる。そして、彼女が受取る固定給よりも、私の歩合給が4倍多いってこともあるだろう。
私はいつでも休みがとれる。タバコも吸わないし、滅多なことでは飲み会に出席しない。しかも、格安航空券を入手するノウハウと仕組みを持っている。ロンドンに行ったときも、手持ち資金は5万円か10万円であった。宿の予約なんかしない。
加えて、私は金の使い方が圧倒的に上手い。同じ1万円でも他人の10倍は有意義に使い、遊び倒すことができる。様々な買物・サービスを交渉して値切ることも厭わない。
そして行動力だ。ひょんなきっかけから、2011年12月に友人を頼って洛陽と上海に行った。3月から4月にかけては写真のロンドン・ヒースロー空港からグラスゴー、インヴァネス、エジンバラへ。6月には、これも友人を訪ねてソウルへ。竹島を返せと伝えてきた。今月は台北経由でヴァンクーヴァーに行く。12月はイスタンブールとソフィアに行く予定だ。その年の初めに4回の外遊先を決め、日時も曜日も決めてしまう。そして普段の生活を質素にし、外遊に備える。現地では、ここぞとばかり美味い物をたらふく食う。酒も浴びるほど飲む。おいしい生活を満喫し、貪る。
年に4回、海外旅行に行く方法。うなるよーなキャッシュリッチでなくても、強い円が我々を海外に送り届けてくれるとゆー事実を知るべきだ。
考え方は至ってシンプルで、①休みを取って②航空券を購入する。ただそれだけのことだ。

2012年9月9日日曜日

Unlucky day.

何だかツイてない日ってゆーのは、ある。昨日がそうだった。50歳の誕生日を記念して買った鳴海製陶のティーカップの下部を、ついうっかり割ってしまい、その1時間後、テーブルの裏側に小さな穴を開けようとしていた作業中、大事にしていた錐の先端が折れた。使用頻度が極めて多く、なおかつ愛着もあったこの2点が同日に破損してしまうのは私にとっては1つの事件であった。
加えて、その1日前に愛猫アナスタシアがスマホの充電器のコードを噛み切り、充電器はお役御免となってしまったし、今日に至っては10月12日に予定していたSNS交流会の出席を辞退して欲しい旨のメールが主催者からあったりで、掃除機、失礼、正直ツイてないなーって感じを禁じ得ないのだ。
Unlucky day.そんな日は誰にでもある。しかし、全然メゲていない私がいる。鳴海のティーカップは瞬間接着剤で復元したし(遺跡から発掘した国宝級の器のよーに)、錐は自宅キッチンにあった2種類の砥石で磨き上げ、鋭利な状態に仕上げ再生させた。スマホの充電器はドコモショップでポイント交換すれば事足り、交流会のシャットアウトはショボい人たちと新たな接点を持つ手間が省けたので、それはそれで、かえって良かったのかもしれない。
とはゆーものの、運気が確実に落ちているよーな感触は否めないので、気持ちで負けないよーに、そして、決して手は抜かないよーにしないといけないなぁ。
こーゆー時ほど、真価が問われるってことを、私は、これまでの経験から知っているので、くれぐれも小心(中国語で気を付けての意)! そしてPMA(ポジティブメンタルアティチュード)で行こうと思っている。以上。

2012年9月8日土曜日

東京芸術劇場。


オフィスの仲間である鈴木芳子さんがチェロで出演するので、チケットを買い、出掛けて行った。演奏は立教大学OBが創ったフィルハーモニックアンサンブル管弦楽団で、会場は池袋西口にある東京芸術劇場大ホールだ。
このホールは9月に改装したばかりで、写真のよーに見事な佇まいなのだが、音が、もー最高ってゆーか信じられないくらいの秀逸さを醸し出しているのだ。弦の響き、特にチェロとコントラバスのよーに地べたを利用する楽器が特に良く、舞台はピアノの響板のよーに振動するので、月並みな表現だが、ホール自体が恰も1つの楽器のよーであった。
モーツアルトの交響曲39番の冒頭のティンパニの音、さざ波のよーなヴァイオリンとビオラの響き。音のバランスも良く、前回、五反田でやった「バラの騎士」よりも私には聴きやすかった。アマチュアのオケとしては最上級の演奏であったのではないか。
2曲目はブラームスのドイツレクイエムで、これは5大レクイエムのなかでの位置付けがどーなのかは知らないが、終わりそうでなかなか終わらない微妙なエンディングらしき調べを複数回繰り返すため、この曲が好きになれないリスナーもいるんじゃないかと推測できる。
この楽団のフルート奏者は、フレーズの頭の食いつきが早過ぎ、逆にトロンボーン奏者は2人ともアタックが遅い。そこが凄ーく気になった点だが、私の勘違いだったらゴメンネ。ともあれ、非日常の世界を格安で味わえたことに感謝をしたい。鈴木芳子さん、ありがとう。

2012年9月7日金曜日

残暑厳しく。

我が家のアナスタシア(写真)は、暑さに滅法強いことが判った。ひと夏を通じて、4回か5回ほどしかクーラーを使わなかったのだが、全く平気であった。室温が35度を超えたときは洗面所の白い陶器に身体を寄せクールダウンしていたし、7月21日に生後2ヶ月で初めて岩本家の一員となってから今日まで、厳しい盛夏、残暑をいとも簡単にスルーした感じだ。立派の一語に尽きる。
今日の日中はやはり30度を超え、不快であるのは人間のみだろうか…。今から野暮用で秋葉原に向かうけど、そろそろ保険の契約のプレゼン・クロージングをサクサクとこなしていかねばならない。9月は旅行月。なので、準備も必要だ。体力・気力ともに十分なのは、この夏、暑さにかこつけてたっぷりと静養したのと、複数の自己啓発書を読んだ賜物かもしれない。
依然、残暑は厳しいが次の展開のために、前に進もう。淡々と日々のルーチンをこなしていくだけだ。

2012年9月5日水曜日

理想の年間ルーチン。

ここ2日ほど、大橋巨泉が書いた本を2冊読んだので、すっかり影響されてしまっているのだが、私は老人になるに向けて以下のよーなルーチンで生活を楽しみたいと思っている。 

  6月16日から9月15日まで。   カナダのヴァンクーヴァーの別荘で過ごす。
  9月16日から12月15日まで。  松戸の本宅で過ごす。
  12月16日から1月15日まで。  京都の別荘で過ごす。
  1月16日から3月15日まで。   松戸の本宅で過ごす。
  3月16日から4月15日まで。   京都の別荘で過ごす。
  4月16日から6月15日まで。   松戸の本宅で過ごす。

理由を記す。6月の梅雨の時期と真夏、残暑の厳しい9月前半は避暑の意味でヴァンクーヴァーで暮らす。ゴルフと釣りを愉しみたい。
9月は残務の整理と、10月の松戸神社祭りに参加するために松戸に戻る。
年末は祇園や先斗町で飲み食いをしたいし、知恩院の除夜の鐘や初詣に出掛けたいので京都。
2月は確定申告を早々に済ませ、自宅リビングで薪ストーブの炎を眺めて過ごしたいので松戸。
3月後半は京都でお花見。続く4月は都をどりを堪能したい。
4月後半からは松戸で夏の軍資金稼ぎをし、6月中旬に自宅の庭の南高梅を摘み取り、梅酒の仕込みを終えてから、タクシーで成田空港へ。

そんなことを真剣に考えている。

2012年9月4日火曜日

「ほっこり」と「ほっくり」の違い。

写真は私の友人である中国人夫婦の旦那さんの方が吉林省延吉への帰省の折に私への御土産として買ってきてくれたお菓子なのだが、「ほっこり」とした味のよーでもあったし「ほっくり」とした味のよーでもあった。
ところで、この「ほっこり」と「ほっくり」の違いは一体全体、何なのであろうか? かねてから疑問を抱いていたとゆーよりは寧ろ、
私個人的には、「ほっこり」とゆー日本語自体が間違っていて、「ほっくり」とゆー表現のみが正しいと、ここ30年間、信じて疑わなかったのだが、マスメディアにおいても「ほっこり」が連呼されているし、駅の巨大なポスターにもプロのコピーライターが「ほっこり」と明確に書いているではないか!
で、私が信頼する大修館書店「明鏡国語辞典」を開いて、調べてみた。

ほっこり→副詞。ほかほかと暖かいさま。(例)ほっこりした綿入れの半纏。
          ふかしたての芋などが、水分が少なくて味にこくがあるさま。ほくほく。
  (例)ほっこりした焼き芋。
          人の情けなどにふれて、心にぬくもりを感じるさま。(例)故郷からの母の        手紙にほっこりする。

ほっくり→副詞。食べ物があたたかいさま。また、ふかしたての芋などが、水分が少なく味にこくがあるさま。(例)ほっくりとしたカボチャの煮物。

とゆーのが、正しいようだ。絶対の信頼を置いている辞書がそう言うのだからそれに従う他はないだろう。両方の言葉に明確な意味があり、「ほっこり」を認めず、間違った認識を堅持していたのは、実は私の方だったのだ。反省猫。

2012年9月2日日曜日

大阪のオバチャン。

大阪のオバチャン(私の父親の妹)から電話があった。和歌山のオバチャン(同じく)が2ヶ月前に亡くなったとゆー連絡であった。今頃、教えてもらってもなあー! 今から和歌山に行っても仕方ないしー。
この、大阪のオバチャン。ペンキ屋に嫁ぎ、早々に高額納税者になったため昔から羽振りがよく、私が日大に入学する1ヶ月前に、100万円をくれた。今から34年前の話だ。まだ高校3年生だった私は、その金を一晩で使ってしまうなんて方法を知らなかったので、さっさと家に持ち帰り、そのまま母親に手渡した。
あとで判ったことだが、当時、旦那がキタのホステスに子供を産ませていたことを知り、鬱状態だったらしい。なので、会社の金庫から持ち出した1束をヤケクソ気味に私に握らせたとゆー訳だ。
人生、いろいろあるねー。まぁ、長生きしてちょーだい。

2012年9月1日土曜日

9月1日。

大橋巨泉の本を読んでいて、九段下のフェアーモントホテルに関する記載があった。22歳のとき付き合っていたある女性のことを想い出した。奇しくも今日9月1日は彼女の誕生日だ。私より2歳下なだけなので、どこかの星の下で50歳の誕生日を迎えている筈だ。おめでとう。
九段下とゆーとホテルグランドパレスでの別の女性との情事も想い出される。なんだかなあ。詳細は書けないけど、過去の出来事を小出しにして愉しめる、そんな年代になってきたんだと思うと、感慨深いものがあるよ(中断)。