彼は30年来の友人なので、あらたまった感じは無く、八重洲でお茶を飲んだ。お互いの家庭のことを根掘り葉掘り聞き合えるので、包み隠さず話をしたら、びっくりしてたなー。ま、それはいいとして。
構造的なゼネコン不況で、執行役員になる寸前の彼も、民主党が与党になってからとゆーもの、仕事のスケールがちいさくちいさくなって行くーと言っていた。そりゃそうだ、予算をどんどんカットしてるんだもんなー。バブルのころ、彼はそのゼネコンの組合の書記長をやっていて、ゴルフとか寿司屋、銀座のクラブになぜだか関係のない私を同席させて接待してくれていた。ごっつぁんでした。
ゼネコンとゆーと、いろいろと想い出すことが多いけれど、当時、彼の会社ではなく、いわゆるスーパーゼネコンの4社のうちの1社の東北支店副支店長と、ひょんなことから懇意になった経験がある。あのころ、私のいた宮城県仙台市は政令指定都市になったばかりの、鳥が建築中のビルにぶつかるくらいの勢いだったので、このナンバー2の権限の異常さ、裏の仕事を取り仕切ってるとゆー自信に満ちたオーラ、実務能力の高さに舌を巻いた記憶があるよ。
この時すでに、本当に巨額の金が流動していたわけで、日本中が酔っ払ってたことは間違いないな。金と政治は花とミツバチの関係に似てるなぁ。詳細はここには書けないけど、いろいろと面白い話があるよ。追ってオープンにしていくことも、ひょっとしたらあるかもしれないのでお楽しみにー。
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