2010年4月12日月曜日

自由。


餃子の王将へ行って、餃子のたれをつくるとき、作り置きのたれで妥協するのか、酢を多く入れ醤油を少なめにするのか、その逆にするのか、或いはラー油を添え物として日陰の存在にせず、それ自体をたれとして使用するのかは、各人の自由裁量に委ねられている。全くの自由だ。
徳川家康は「不自由を常と思えば不足なし」と言った。今の日本では、この、不自由がそもそもないのだから、全くのオープンコースを走っていいことになっている。合法的ならいくら金を稼いでもいいし、もの凄い美人を連れ歩いても構わない。イスラム教に改宗するのもOK。家で寝ていたければ、ずーっとそうしているのもいいかもしれない。ボルドーの1級のワインが飲みたければ買えばいい。家だって銀行が金を貸しさえすれば、千代田区にだって建てられる。もう大抵の事はセーフだ。
政治の世界にフォーカスしてみればもっと解りやすい。民主党に自由度が低くても、自由民主党には自由がある。自由に出ていってもいいみたいだしー、何でもアリだもんなー。野党に転落したから出て行く輩って、これ、カッコ悪いことなんじゃないのかなあ。与党から下野するんならキレイだけど、権限や、うまみがなくなったからって逃げ出しちゃうのって、楠木正成なら絶対にやらない筈だよ。昔の鳩山由紀夫さんって、「新党さきがけ」をつくって自民党から下野したんだし、元々は民主党だって、ショボかったのを大きくしたんだから立派なもんだ。国のためにしっかり贈与税も支払ってるしー、週刊誌はサンドバッグみたいに叩き過ぎだっちゅーの。限度超えてるよ。
自由。自由自在。昔、そんな名前の参考書ってあったよね。今の日本において、何でもありってとこはあるけど、多少の仁義とか、様式美とか、矜持ってものは果たして必要ないんだろうか?フォームとゆーか、フレームワークらしきものがやっぱり要るんだと思うな。ちょっと、考えちゃうよね?

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