2009年6月3日水曜日

アンナ・カレーニナ。


世界三大不倫小説って、村上春樹が言ってたんだっけー? まず、トルストイの「アンナ・カレーニナ」、フローベールの「ボバリー夫人」、スタンダールの「赤と黒」。このセレクションは極めて正しいんじゃないかな。
あと、日本三大真央ってゆーのは、おれが提唱してて、大地真央、浅田真央、井上真央を指す(♪チャンチャン♪)。
さて、本題に戻って、学生時代に新潮文庫で読んだアンナ・カレーニナは意味がさっぱり判らなかったけど、48歳になった今、光文社古典新訳文庫で読むと痛いくらいによーく理解できたよぅ。
結婚したくても制度に阻まれ無理無理。結ばれてるのに結ばれない。純愛そのものを貫けばそこにあるのは死。不倫は時代を超えて切なく狂おしく猛々しく儚い。連綿と続く哀しみの中で発露する刹那の喜び。もー、小説だけでも良かったものを、1948年公開、ヴィヴィアン・リー主演のDVDを500円で買ってきちゃって、家でジトーっと観たもんだから、もう小説への入り込み方が凄いのよ。グレタ・ガルボやソフィー・マルソー主演のバージョンだったらそれほどでもなかったろうけど…。
ところで、女は3つに分類されるって言ってたのは誰だっけ? ジャンケンのグー、チョキ、パーに喩える方法ってのがあるよ。因みに、グーがパワー系。チョキが魔性系、パーが癒し系。チョキの魔性系はパーの癒し系に勝てるんだけど、グーのパワー系には負けてしまうって法則。
ショパンのピアノ曲を弾けるよーな両手を使える女性を除いては、殆どの女性がこの3つのうちのどれかに納まるんだと思う。小説の中の女性では、アンナ・カレーニナはチョキ、キティ・リョービンはパー、ドリー・オブロンスキーがグー。そのいずれにも属せないのがキモい系ってゆーカテゴリーの人達なんだけどねぃ…。
結局、魔性系には悲劇的な末路しかないのかなぁ~。アンナはクリンという駅で、汽車に飛び込む人身事故で生涯を終える。ヴィヴィアン・リーは映画「哀愁」のなかでも、ウオータールー・ブリッジの上でトラックに飛び込んで自殺している。なんか、勝手に深みに嵌りこんで、どんどん悪い方に行っちゃってる役が多いな。プライベートでもそーだったみたいだけど…。
それにしても、この小説がよく出来てるのは、トーマス・マンやドストエフスキーやチェーホフが絶賛するまでもなく、人物の描写が秀逸で、なおかつ、トルストイ自身が説明文の大家であるってゆーことに起因してるんだなー。状況の記述が的確なので、ストーリーの輪郭がベルナール・ビュッフェの絵やミラ・ショーンのネクタイみたいに、すこぶるわかりやすい。最終章の第8章では東洋哲学の講義みたいな部分もあるけど、感心するくらい本当によく書けてるので、みなさんも読んでみて下さい!

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