最近、焼魚定食で、にしんをセレクトすることが多い。つい最近もニュー新橋ビルのB1で、にしんの焼いたのを食った。バブルのころホテルのバーへ行って、春先は、にしんのマリネばかり賞味していた。大晦日には亡き母を連れて、祇園の「松葉」とゆーにしん蕎麦の名店で忙しく年越し蕎麦を食すのが習いになっていた。やっぱり、にしんが好きなのだ。
にしん、にしん御殿、やん衆が騒ぐ、わたーしゃ夜通し飯を炊くー、そうそう、なかにし礼が北原ミレイに書いた「石狩挽歌」とゆー、歌詞の完成度は高天原にあるなぁ。同じ時期に同じ歌手に書いた阿久悠が「ざんげの値打ちもない」しか書けなかったのに対して、やっぱ才能で上回ってるなあと思う。だから、阿久悠は多作に走らざるをえなかったんだなぁー。
なかにし礼の才能をパッと見で見出したのは石原裕次郎で、なかにし礼が新婚旅行で下田東急ホテルに宿泊中、バーで偶然カウンターにいた裕次郎に隣に座れと言われ、「シャンソンの訳詩なんか止めて、日本の歌を書け、日本人だろ?」の箴言を受けた。で、1年半後に作詞家デビューを果たしたらしいんだな。実際に、この人の書いた詞ってゆーより、キメのワードだな凄いのは。なんで一般大衆の心のスペースにすとーんと落とし込める言葉の威力を、ベストのタイミングで発揮できるのだろうか?
おっと、脱線。にしんじゃなくって、なかにしん礼さんの話になってしまったよね。このテーマは深いので後日、たっぷり書くよ。
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