2010年5月5日水曜日
ドライバーの変遷。
ドライバーって、ゴルフクラブのことね。ゴルフを本格的にやりだしたのは、25歳で、仙台にいたころだと思う。最終的には宮城カントリークラブのメンバーになるくらいの入れ込みようで、かなり凝りだしたのもこの時期だ。
で、1本目のドライバーは、笑っちゃうんだけどヨネックスのカーボンのやつ。いまでこそ石川遼選手と契約して、メジャーになってるヨネックスだけど当時は、誰も使ってなかったなー。すぐに飽きてしまい、2本目はジャンボ尾崎選手が華やかなりしころのテーラーメイドツアープリファードにした。ゴールドシャフトの8.5度のやつだった。これには本当に、お世話になったなあー。当時からヘッドスピードは早かったので、正直、300ヤード手前まで飛んでいたと思う。青木建設の楠チャンとサイパンでやったときは、320ヤードの短いパー4で第1打をグリーンオーバーしたもの。その割にはボギーだったりして。次、3本目。パーシモンの高級クラブに買い換えたんだけど、何でそーしたのかは、定かでない。でも、当時は、スペインのホセ・マリア・オラサバルが好きだったのでクリーブランドクラシックのオラサバル仕様のリミテッド500本のうちの412番目のクラブだったから、6万円か7万円支払って買ったのを覚えている。好きだったけど、このクラブにはホント悩まされたっけ。無茶苦茶曲るんだもん。半端ない。
で、4本目がタイトリストのプロチタン975J。このクラブではゴルフコンペのドラコンを取りまくったのよ。30人以上の参加者があったコンペで、INとOUTの両方でドラコンとったことがあって、優勝以上の興奮てゆーか、もう有頂天。天狗になってたっけ、子供みたいに。
今、5本目のドライバーを物色中だけど、やっぱり、タイトリストのプロチタンD2に、マミヤOPのプロフォースV2のXのシャフトを入れて2インチないし2.5インチカットする予定。縦振りだから、シャフトが46インチだと対応できないのよ。
コースにはさっぱり行かないけど、頭の中で夢が、だんだんとだんだんとだんと、広がっていくなあー。
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