今、見たいのは勝間和代ではなく、ムーディー勝山だ。勝間和代の役に立たない面白トークよりも、ムーディー勝山の緻密な芸のほうが私にとってはプライオリティーが高い。
変な例えで恐縮だが、三種の神器ってゆーのがあって、確かこれはテレビと冷蔵庫と洗濯機を指すよーに記憶してるけど、私自身が日々の生活の中で、この3つに恩恵を受けていないばかりか、今や使用しようとも思わなくなったのを指摘しておきたい。まず、テレビからゆーと、家の中での場所を取り過ぎているとゆー点。20世紀末に購入したソニーのテレビは後ろの出っ張った旧タイプのもので、分厚い。これで薄っぺらい内容のコンテンツを見ようとゆー気には、とてもなれない。今は、ジャストのタイミングで、廃品回収業のオニイチャンの運転する車が低速で近所を流してくれるのを待っている状態だ。次、冷蔵庫。そもそも、買い置きしてるものがなく、冷蔵庫で保存する食材、イコール残り物、もしくは美味しくない物ってゆー位置付けだ。しかも、家にあるシャープの大型冷蔵庫はやはり、旧タイプで20世紀末に購入しており、消費電力が極めて大きい。なので、費用対効果の面から言って、電気料金垂れ流しのよーなイメージを持っている。近所にコンビニあるしねー。最後、洗濯機。これは今流行の、軸が横回転する東芝の洗濯機で加重ってゆーか、エネルギーの使われ方に問題がある。前から洗濯物が回ってるのを見る必要ってないんじゃないの?子供じゃあるまいし、見せなくてもいいから、しっかり、重力に則して縦軸回転で真面目に洗って欲しいしー、環境保全や消費電力を考慮に入れた場合、そもそも論になるけど、今や各家庭の洗濯機よりも、コインランドリーのほうに経済的合理性や環境上の優位性があるに決まってるもん。
で、この3つは私の感覚では勝間和代的な全時代的遺物だと思っている。一方、ムーディー勝山的ニーズを満たす、今日的三種の神器はエアコン、パソコン、ケータイである。この3つは、ないとリンダ困っちゃう(古いか!)。なぜかとゆーと、まずはエアコンから。6月、7月、8月の3ヶ月間のうち、気温が30度を超えたり、或いはそれに近い室温になった時、全身を黒い毛で覆われた愛犬ドンキーの身体に悪影響があり、可愛そうなのでそれは避けないといけない。暖房で使うことはまず無いけれど、冷房としては他に方法が無いので唯一貴重な役割を果たしている。次、パソコン。これがないと、外部との情報交換ができない。調べ物があって、頭に引っ掛かった状態になったとき、瞬時かつ見事に問題解決してくれるのがパソコンだ。自宅では2009年3月になって初めてパソコン生活に入った私だが、今ではこの便利さに感動することしきりであり、感謝さえもしている。最後、ケータイ。これは、もう運命共同体と言っても過言ではないくらいの存在。目覚ましと腕時計、メモ帳とスケジュール管理、簡単な伝達やセールスツールとして生活必需品の地位を獲得している。片時も手放せないよ。なので、この3つはどうしても必要。
まとめ。正直に言うと、ムーディー勝山がいなくても困らないけど、この今日的3つは、無いと非常に困る。
ところで、この書き込みにおけるムーディー勝山の役割って、一体何だったんだろう?失礼失礼。
0 件のコメント:
コメントを投稿