2009年7月5日日曜日

中国語。

中国語の必要性を日増しに感じているのは私だけではないだろう。東京には至るところに中国人留学生がいて、日本にいても日常的に彼らとコミュニケーションを取るケースが増えてきている。面白いことが最近わかったのだけれど、日本に来ている中国人の殆どは英語が話せない。てゆーか、英語が嫌いであるよーに思う。そのことは、明確に理由付けができる。もし、彼らが英語に堪能か、もしくは多少の興味があったら、アメリカとかイギリスに留学している筈で、日本に来なかっただろうと推測できるからである。なので、日本にいる中国人は最初から英語学習に対して腰が引けていて、熱心ではない。一方、日本に来ているバングラディシュ人の中には、ネイティブに近い英語を操る者が多いようだ。彼らは全員イスラム教で、イスラム教差別の多いアメリカには行かないものの、裕福な家庭の子弟が多く、日本でゆー東大や早慶を卒業してから日本に来ているようなのだ。なので当然、英語に堪能。第一、航空料金の高いバングラディシュから飛行機に乗って、さらに物価の高い東京に来て、東京プライスの家賃を払って生活していくとゆー発想は、貧困層の子弟からは生まれてこないって…。
話を元に戻すと、中国語の標準語である北京語を喋れることは、仏教の伝来を調べるために必要であるし、ひょっとして日本人が将来、中国に出稼ぎに行くよーな時代が到来した場合は必須になるんじゃないかって思っている。中国と隣接している周辺国においてはなおさらで、ミヤンマー人とかネパール人とかモンゴル人とかベトナム人なんかも北京語を解する人が少なくない。日本人はこれから人口が減少していくことは必定で、若い世代が結婚して子供をつくらないことも手伝って、団塊の世代がバタバタ死んでいく20年後には、確実にフィリピンとかベトナムに人口で抜かれているだろうから、日本語の重要性は今よりも格段に落ちていることが容易に推定できる。26文字のアルファベットのみで足りる合理的な英語と使用人口が世界でもっとも多いマジョリティー言語である北京語の2つを駆使できれば、あとはあんまり必要ないんじゃないかって、最近ずーっと思ってるよ。息子が大学の講義において、第二外国語を中国語に決めたことは、ヒジョーに正しい選択だと言わざるを得ない。

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