2009年7月20日月曜日

聖徳太子と坂上田村麻呂だって移民。

聖徳太子の顔はどうみても日本人の顔ではない。出生の秘密がありそうで、今となっては知る由も無い。一度に複数の人間の話が聴けたとゆーのは、巷間、伝えられるところではあるが、個人的には違うと思っていて、実は、ヒンディー語、ネパール語、チペット語、北京語、韓国語、モンゴル語、ペルシャ語などが喋れたのではないかと推測する。インドとネパールとチペットのどこかで生まれ、仏教を伝えに日本に来た渡来人だったが、そのあまりの優秀さ故、朝廷が軟禁したのではないかと考える。側室も付け、至れり尽くせりの状態にして権限も与え、活躍の場を提供したから日本に留まったよーに思う。文献では子供も20人弱いたとゆーし。彼が建立した正倉院のあの、変則的な造りは日本の土着の建造物ではないもの。
次、征夷大将軍だった坂上田村麻呂。とにかく、フィジカルに強い男だったようだ。他の日本人より、抜きん出て背が高く、頭も良かった。誇り高き漢民族そのものだなー。今で言う知事の職にも、こういった優秀な渡来人が数多く採用されたとゆーし、実際、日本の国際化は当時の方が進んでいたのかもしれないなー。北京オリンピックで金メダルを50個獲得してしまうぐらいの漢民族だから、日本の大相撲に大挙して入門してきたとしたら、幕内は全員、漢民族になってしまい国技としてはショボイものになってしまうかもしれないなー。
アジアとゆーか、世界の中で、束の間の春を謳歌した日本人のピークはここ50年だけの話であって、この先はよっぽど手を変え品を変え、努力していかないと、所謂、渡来人に負けてしまうことになる。そのあたりを一番危惧しつつ、対策を打つのが、これからの政治家の役割だと思うけどな。

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