2009年5月10日日曜日

文章力。

文章力に自信がない。てゆーか、年齢を重ねるに従って謙虚さが身に付いてきたとゆーことかもしれないなー。大体において、助詞の使い方が不適切だ。て、に、を、は。それだけじゃなくって、が、も、には、まで、までに、と、か、とか、だの、やら、なり…。なにがなんだかよくわからない。
それでも、子供時代から作文は嫌いな方ではなく、神戸市の作文コンクールに入選したりすると単純にうれしかったのでなおのこと努力もした。ところが、中学、高校になると今の国語教育の弊害がでてくるんだなー。句読点をどこに打つかとか、鍵カッコの使い方とか400字詰め原稿用紙におけるルールを学校では、ぜーんぜん教えない。今はパソコン書きのルールらしきものが生まれつつあるけど、なんだか中高の6年間でごく一部の上級者を除いては文章力が足踏みしてしまっているのが現状じゃないのかなー。自分でやるしかない。
ところで、学生時代、神保町にあったジャズ喫茶「コンボ」の落書き帳にずーっとコラムを書いていた。ペンネームはBig Game Iwamoto。この落書き帳にはあまたの文章家がいて、そのなかで評価されたいとずーっと思っていて、そのために、密かに研究してた参考書があるのよ。紹介しましょう。その第一は朝日新聞の本田勝一が書いた「日本語の作文技術」、「実戦・日本語の作文技術」。ここでは修飾する順序を覚えたつもり。大原則は長い修飾語は先に、短い修飾語は後に、というもの。つまり、
「年輪の豊かな、よく育った、太い竹」と書くのが正しい、ということを教えてくれた。次は、三島由紀夫の「文章読本」。ここの本からは実用的な文章と観賞用の文章について学び、翻訳文の限界について理解し、文章それ自体の密度とスピードの関係について検証ができた。あと、実際に創作の現場で三島がどーゆーやり方で書いていたかとゆー秘密も披露している。具体的には推敲する時、400字詰め原稿用紙1枚のなかで文章が行儀よく納まり、一定の密度を持ち、曖昧な部分がなければ次に進み、後から加筆・訂正はしなかったらしい。なるほどなー。その繰り返しだったわけだ。
三島作品では「潮騒」と「金閣寺」が特に好きで、うまいなーと思いながら読んでるけど、少しでも近づければいいと漠然と思ってるよ。文章がうまいって、憧れの最たる部分だけど、遠き道だな。シビアー。

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