2009年12月20日日曜日

片山右京さんは悪くないよ。

12月中旬の富士山登山。遮るものが全く無い独立峰の富士山に、強風が吹くのは当たり前で1月であろうが2月であろうが、1年の内の最も難しい時期だと言える。登山家諸氏は8000m峰攻略のトレーニングとして3776mの富士山を選択せざるを得ないのが我が国の現状だ。
旭川にある2団体(旭川勤労者山岳会、倶楽部イコトンテ)で冬山登山を勉強させてもらった私ではあるが、この時期に富士山に登頂する技量、力量は残念ながら無い。
推測でしかここには書けないが、御殿場口登山道における標高2800m地点とゆーと周りには何も無い場所で、そこをC1としてテントを2張りしたようだ。2800mでは高度障害(所謂、山酔いってやつ)は90パーセントの確率で出ない。しかも、残りの高度を1000m残して、翌朝、一気に詰めるとゆータクティクスも悪くない。
2850mには「六合目小屋」、3000mには「日の出館」、3100mには「わらじ館」、3150mには「砂走館」などの山小屋はあるが当然営業も開放もしていないから、緊急時の非難小屋としての役割は果たしていないだろう。ともあれ、3人のパーティーは1人用のテントを片山氏が、2人用のテントを今回亡くなられた方2人が張って、1泊する予定であった。ところが、強風のためか2人の人間がテントごと斜面から滑り落ち、雪面に投げ出された2人は、体温の低下による心肺停止で他界してしまった。残念な山岳事故となった。因みに右京さんのテントは無事であった。
ところで、気になる点とゆーか、ここが一番の肝なのだが、テントをフィクス(固定)させる方法をどうやってやったのか、疑問が残るのだ。一般のキャンプ場のように20cmぐらいのべグを木槌で打って、テントを固定させるなどということはしないのだが、今回の場合、ピッケルやスキー板を支柱にして、テントやフライシートの細引きをどのくらいしっかりと括りつけたのだろうかが、甚だ疑問である。周りは新雪だったのだろうし、ハイマツも地面に露出していないだろうから、ペグ代わりのピッケルの周りを石や小さな岩(見つけられればの話だが)で更に固定し、強風に耐えるだけの強度にできていただろうか?これらの作業を短時間でグローブをはめたままこなせるだけの経験を2人が積んでいたのかどうか?テントの固定のためには、なりふりかまってはいられないので、ガムテープをグルグル蒔きにしたり、針金で強引に留めたりするのだが、その2つを持って行っていたのか、或いはザックから取り出しやすい位置にその2つがあったかどうか?
あくまで、推測の域を出ず、第三者である私がチャチャを入れる筋合いがないのも承知で書いた。基本、冬山登山は自己責任の世界である。右京さんは悪くない。亡くなったお2人には、ご冥福をお祈りします。これは天災であり、突発的に起こった山岳事故であるのだから、本当に、誰も悪くはないのだと思う。遺族の方々のコメントも、右京さんにプレッシャーを与えない心遣いが垣間見られ、その態度は立派であった。
最後に、山岳会のお歴々が、比較的経験の浅い右京さんに批判的な態度を表明しないことを希望します。

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