2012年4月30日月曜日

1年前。

1年前のゴールデンウイークは、どーゆー訳か何もせず、愛犬ドンキーと静かな時間を過ごしたことを覚えている。ゴールデンウイークが終了し、ほどなく彼は突然死してしまうのだが、最後の時を慈しむような貴重な空間を共有できたよーに思う。 今は江戸川河川敷の櫻の木の下で安らかな眠りについている彼だが、1年を経過して、綺麗に土に還ったのだろうか? 5月12日の1周忌を過ぎたあたりで、神戸から新しい黒猫を迎える予定にしている。許してもらえるだろうか。犬を飼うのは、基本、彼に申し訳ないばかりか人の道に外れるよーな気がするので、導きにより猫を選択した。このことで、何か良い変化が生じればいいなあと期待しつつ、全てを受け止める覚悟も同時にしている私である。

2012年4月29日日曜日

スーパーハードな1日。

13時に起き、日中から日没にかけて真面目に働いたら疲れてしまった。以上。

2012年4月27日金曜日

黒猫を迎える。


フェイスブックフレンドの高原眞由美女史から頂戴することになっているメス猫が写真の彼女である。神戸生まれで、私と同郷でなので、きっと会話も弾むであろう。 名前は何にしよう? ホイットニー、アーナンダ、ヌルハチ、ワンヤンアグダ、スレイマン1世、ベッキー、コーネリアス、エカチェリーナ、ヨーゼフ、パトラッシュ、小判、カテリーナ、トロツキー。もう何が何だか判らなくなる。 私のゴールデンウイークは、猫の名前を考える1週間となるのだろうか?

2012年4月26日木曜日

なりふり構わず。

在原業平ゆかりの業平橋駅が「とうきょうスカイツリー」駅に名称変更したのだって個人的には物言いがあるのに、何と! 東武伊勢崎線の浅草駅~東武動物公園駅までの区間が「東京スカイツリーライン」ってゆー呼称に変わっているのを発見。びっくりしたなー、もう。そんなに簡単に名前を捨ててもいいのかなぁと思う反面、ある意味、東武電鉄が勝負を賭けたなって感じもする。これって、積極果敢な戦略と言えるのかもしれないなあ。 久々に北千住駅で下車して見た看板に、思わずシャッターを切ってしまった。物事が煮詰まってきたとき、ドラスティックな変更って、やっぱ必要だろう。 明日は渋谷で10時アポ。1時間とゆー限られた時間のなかで、目一杯のプレゼンをやりたい。もちろん、なりふり構わず。

2012年4月25日水曜日

追い込み。


ううーっ。今月は27日締め切りなのに、しかるべき成果が出ていない。刈り取るべきところを刈り取れていないってゆーのが本当のところだ。 お客さんに無理強いをして商いをつくっても、それは良質の契約にはならず、結果、クーリングオフとか短期解約になってしまうので、正直それでは、やる意味がない。 まいったなあ。気分転換で本日、頭を丸刈りにしてきたけど、それでどうにかなるものでもない。 写真は日暮里駅の成田空港行きスカイライナー乗場の改札である。手前の改札の奥にある綺麗なグリーン系の色のゲートを通り、右折。エスカレーターで1番ホームに上がる。このイメージが私を仕事に駆り立てるのだ。6月1日からは韓国・ソウルへ。同29日からはカナダ・バンクーバーへ。11月30日からはインド・デリーを予定してるので、とにかく働いて結果に繋げなくては…。プロなので…。

2012年4月24日火曜日

日本の献血王。

今日、秋葉原で献血をしてきたのだけれど、23回目とゆーことで既に9200ccの血液を日赤に献上したことになる。年内にあと2回、確実に行くので今年中に都合10リットルの献血を終える予定である。結構、達成感はあるんだけどねー。 しかし、上には上がいるもので、私のお客様である山口英一氏は過去に129回の献血を既にしている。おそらく、彼は日本でもトップクラスの献血回数を誇っているのだと思う。 私の献血のパターンは400ccずつを年3回、およそ3ヶ月置きに抜いていくやり方なのだが、彼は成分献血といって血液の内、有効な成分のみを献上し、残りは返してもらう流れなので、2週間に1回献血ができるルールとなっている。なので彼は2週間に1回、年に24回以上の献血が可能で、私は年3回のみ…。これはどう考えてもハンデがあり、私が彼に追いつくことは絶対にない計算となる。 ところで、彼のやる成分献血は行程が煩雑なので1回に約40分から1時間を要し、私の400cc採血は血液を機械が吸い取るだけのシンプルなものなので、時間だけでゆーと5分から10分で終わる。すこぶる効率が良い訳だ。今日もあっとゆー間に終わってしまった。 私の血圧は上が123、下が79とゆーことで健康だし、血液の濃さも充分、変な病気のキャリアでもない。 私自身は、この献血をあと10年は続け、50回を超えたら記念にあんこう鍋でも食べにいこうかと考えている。そのときは山口氏を誘ってガンガン日本酒を飲みたい。場所は既に決まっていて、神田須田町の「いせ源」。今から楽しみにしてるよ。以上。

2012年4月22日日曜日

チャリティーコンサート。

左はピアニストの池沢由香子さんで神戸の出身だからてっきり大阪音大卒かと思いきや洗足学園音大卒であった。今日は六本木のシーボン化粧品ビルの8階にある「六本木シンフォニーサロン」で彼女の演奏を聴いた。カタチの上では浅野美帆子さんのソプラノの伴奏ってことなんだけど、私は専ら池沢由香子さんのピアノばかりを聴いていた。 今日の演目はシューベルトを6曲、シューマンを12曲だったから1時間程度のミニコンサートだったのだけれど、4000円とゆー微妙な料金設定で狭い会場にギューギュー詰めにされたもののさほど気にならなかった。 で、40人のオーディエンスを入れたから売上げは16万円。会場のレンタル料その他で4万円。残りの12万円を2人で分けて6万円といったところだろうか。それぞれのギャラから1万円ずつがチャリティーに回るのかなぁ。そんなイメージだろうと思う。 外は雨だったのだけれど、上質のクラシックを聴いて帰る道すがら、心はホックリとしていい気分だった。こーいったコンサートなら損した感じにはならないので、また行きたいと思っている。お誘いください。 そして、池沢さんは銀座7丁目の日本料理屋の女将でもあるので、お店の方にも伺いたい。またねー。

2012年4月21日土曜日

私の良書。

絶対に教えたくなかった本がこの①「マスターの教え」です。ま、私のブログの読者の方々には幸せになってもらいたいので、開陳しておいてもいいかな。 あと、以下の書籍も間違いなく良書なので、読んでみてねー。 ②Q永漢  「成功の法則」 ③植村直己 「青春を山に賭けて」 ④矢沢永吉 「アー・ユー・ハッピー?」 ⑤前田義子 「前田義子の強運に生きるワザ」 ⑥山路徹  「口説きの技術」 ⑦バルザック「グランド・ブルテーシュ奇譚」 ⑧高橋洋一 「日本経済の真相」 ⑨斉須政雄 「調理場という戦場」 ⑩糸山英太郎「金儲け哲学」

楽器磨き。

今日は完全オフなので、楽器を吹いてみた。ちょっと練習してないと途端に音色に翳りが出てしまうのが管楽器の難しいところだ。マウスピ-スに唇を当てるポジションが微妙にしっくりいかなかったり、なんだか非日常の感覚になってしまうのだ。素人だから、どうでもいいといえばそうなのだが、なんだか気分が優れない。変な感じだ。 ラフマニノフのヴォカリーズの楽譜が傍にあったので吹いてみた。あれあれ、これは比較的マシに吹ける。一時期、真面目に練習したからだろうか? おかしいけど、ま、いいや。 で、明日の午後3時から、六本木でピアニスト池沢由香子さん伴奏のコンサートに出掛ける。幸いにしてヴォカリーズのピアノ譜も持っているので、今度、彼女の伴奏で吹いてみようかな? 彼女は大阪音大OGなので共通の知人がいるかもしれないし、明日、話をしてみよう。 でゎでゎ。 しまった。タイトルは楽器磨きだったなあ。私の楽器は銀メッキなのでシルバーポリッシュをガーゼにつけて磨いたらピカピカになったとゆー話をするべきだったよ。失礼失礼。

2012年4月20日金曜日

猫。

フェイスブックフレンドの女性が、この猫の里親になってくださいとゆー記事をアップしている。現在進行形なので私がゴーサインを出して、お願いすれば本当にこの猫が我が家の一員になるんだろうけど、そうすると旅行に行けなくなる。隣の松尾さんに海外渡航中、この猫を預かってもらえばいいのだけれど、なんとなく気が引ける。 でも、このメス猫かわいいなあ。名前はホイットニーにでもするかなあ。いやいや、危ない危ない、この猫は15年から20年生きるだろうし、猫が弱ってくるのに並行して私も弱ってくるので、老老介護になってしまうから、やっぱ、やめておいたほーがいいなあ。 そうしよう。

2012年4月19日木曜日

年金支給日。

昼にアメ横を通った。上野と御徒町の間のアメ横である。今日は19日なのだが、実は15日が日曜日だったため、お爺さんお婆さんには13日の金曜日のギフトとして、不労所得の年金が振り込まれている。 4月13日金曜日に振り込まれた年金は2月分と3月分の2ヶ月分なので、人によって支給額は異なるだろうが、彼らの懐はこのニューマネーで潤っている筈だ。 ある者はパチンコに行き、ある者は借金を返し、ある者は貯金をし、ある者はその存在とゆーか事実さえも知らないでいるのではあるまいか? で、アメ横にも例によって、大量の老人達が闊歩していた。写真では窺い知ることはできないが、お爺さんお婆さんがゆっくりと品定めをしつつ亀の如くスローテンポで歩くので、後続の私はイライラカリカリしてしまった。買うのか買わないのか、はっきりしない。ただ連れ立って喋りながら歩くのが嬉しいだけなのか、意外に財布の紐が硬いことも手伝って、結果、何も買わないで家路に向かってしまう。 いい加減にしろって言いたいものの、私に危害を加える風でもないからそうもいかない。 果たして、この人たちに国の財源でお金を支給する意味はあるのだろうか? いろんな意見があるのは承知だが、正直、釈然としない気分の私であった。

2012年4月18日水曜日

肉の摂取は牛丼で。

今日は営業で鶯谷周辺を行脚してきたんだけど、ラブホ街にはいるわいるわ女が。ケータイで連絡をとったり、車が迎えに来たり、デブ専の女だったり、フリーの流しだったり…。 世の中乱れきってるなぁー。でもまあ、勝手にやってくれ。 で、今日の一食は今をときめく「東京チカラめし」の並。味噌汁付きで280円。これで1日の食費が完結してしまうので金が余るしー。 俗に貧乏人の肉は牛丼、中間層の肉は焼肉、キャッシュリッチの肉はステーキと相場は決まっているのだが、費用対効果を突き詰めて考えると、私の今日の食事は100点満点だ。十分なポーションと味を充たしてたった280円しか費消しない。これぞ究極のコストパフォーマンスだ。牛丼とは言いながら、実はこの商品、限りなくカルビ丼に近い。 今日の有効訪問件数はショボかったが、食事が充実してたから良しとするかぁー!

2012年4月17日火曜日

ホテルトッポギ。

ホテル六本木じゃないよ、トッポギだよ。 で、何を書こうとしてるかってゆーと、今度、6月1日(金)から韓国のソウルに2泊3日で行くことに決めているので、最近はソウルって書いた旅行ガイドを手にすることが多い。 元々はソウルのホテルに皆目興味がないから、いろいろ見ても力が入らないんだけどー、実際、それぞれのホテルに個性とゆーか特徴が見当たらないので尚、落胆の度合いは大きい。実に退屈なのだ。 で、仮に私がホテルの経営をするとして、ホテルトッポギとゆー名前の屋号で料理はトッポギしか出さなかったり、ホテルキムチと銘打ってロビーの至る所でベルボーイがキムチを漬けていたり、そんなドラスティックかつ馬鹿馬鹿しいコンセプトでホテルを開業したらどうだろうかと思ったのだ。 案外とそれらは、従来の画一化されたホテルに飽き飽きしていた層にジャストミートし、その話題性と相まって稼働率が高いとゆーよりは、ありえない話だけど空室率ゼロのホテルが出現するのではないか? 正直、これは当たるかもしれないと考えている。同様に、ホテルサムゲダンとかクッパホテル、ナムルリゾート、プラザビビンバ、スンドゥブインとかそーいった名前でそれらの食事に特化したホテルがあってしかるべきだと思っている。宿泊客は、ひたすらそれらの食材を食べ続けなくてはいけないのだが、一点を集中して攻めるとそれは得意分野になる訳で、結果、顧客満足度は沸点に達するのではないかと想定している。 でも、ちょっとフザけてるか現実離れしてるかのどちらかかもしれないなあ。 思いつきで、つまらないことを書いてしまったけど、個人的に韓国料理は大好きなので何だか待ち遠しいよぅ。以上です。

2012年4月16日月曜日

アムールトラ。

ロンドンのヒースロー空港を飛び立ち、北海、スカンジナビア半島、モスクワ、オビ川、エニセイ川、レナ川を経てアムール川に差し掛かかり、ブリティッシュエアウエイズの機体がやや高度を落としたそのとき、眼下にアムールトラが蠢くのを見た。ほどなく日本海に入り、私は彼らを見失ってしまったが、確かにいたのだ。 写真はヨドバシカメラアキバ店のフィギュア売場で見つけた1080円のアムールトラ(ゴム製)。購入しようかどうか迷った挙句に買わないと決め、その代わりに私が選択したのは御徒町の立ち飲み屋に行くことだった。 フィギュアには間違いなくアムールトラと表記してあったので、一瞬、欲しくなったものの、50歳を過ぎて欲求にストップがかけられるよーになっている私は、我慢ができた。 最近、何かにつけて必ず、お金が余るよーになっている。3月16日(金)からは一日一食も守れている。我慢に耐えられる精神力とゆーかセルフコントロールらしきものが身に付いてきている。喜ばしいことだ。 なので、後は、それを仕事に反映させていくのみである。ファイト!

2012年4月15日日曜日

ご飯がススム。

マイブームって言わなくなって久しいけど、敢えて言う。 私のマイブームは「ご飯がススム」とゆー名のキムチだ。200gで228円。今までのキムチとは一線を画し、辛味がない。ほんのりと甘いのだ。 キューリのキューちゃんを製造販売している東海漬物は、現在、ピックルスとゆー社名なのだが、同社の看板商品になりつつあるのがこの「ご飯がススム」である。 どういった製造工程なのかは不明だが、企画の段階から韓国産キムチとの差別化を図り、全く別の画期的商品に仕上げるとゆーコンセプトがあったようだ。 このキムチに嵌ってからは他のキムチに戻れないってゆーか、そんなキムチにならない。そして、このキムチのお陰で6月1日からのソウル行きのモチベーションが上がってきている。本場で様々なキムチを食べ歩くことで、更に造詣が深まるだろうからだ。 とにかく瑣末なことでも興味を持って、毎日を過ごしていきたい。3月16日からスタートした一日一食は、今日で1ヶ月間続いている。食べる愉しみの頻度は減ったけれど、密度とゆーかクオリティーは上がっているよーな気がしている。 よい習慣なので、さらに続けていきたいと思う。

2012年4月14日土曜日

足切り。

足切りとゆーと試験で60点以下は不合格ってゆーふーにカットラインを意味するのだが、今回は単にテーブルの足を切った。それが足切り。何でそんなことをしたのかとゆーと、来客があった際のローテーブルを長年探していたものの、コレといった良品が本当に見つからなくて至る所でいつも逡巡していた。 いろいろと考えた結果、私の座高では40cmは低いし、50cmの高さでもなんだかしっくりこない。だからといって71cmのテーブルをそのままリビングで使うには高過ぎる。せっかくの深澤直人デザインの3シーターソファーの良さが全く活かせないのは残念だし何とかしたい。で、一念発揮して71cmのハイテーブルを60.5cmのミドルテーブルに変身させるアイデアを今朝、思いついた。シンプルにテーブルの足を切ってしまえばいいのだ。 思いついたら即、実行! 早速、赤マジックで印を付け、短い園芸用ノコギリでスピーディーにカット! その間15分。見事に仕上がった。結果、パーフェクトなミドルテーブルが眼前に現れた。 なので、我ながらあっぱれな「雨の日の午後と土曜日は」、と相成った。 気温が低く、憂鬱な雨の日も、ちょっとしたきっかけで気分は180度変わる。 そのことの見本みたいな実体験に、満足至極の私であった。みんなもやってみたら?

2012年4月13日金曜日

古い写真。

バブル期の古い写真を2枚。上の写真はたぶん、岩手県の雫石か安比のスキー場。確か松任谷由実とか山下達郎の曲がゲレンデに流れてたっけ? 下はサイパンのマリアナカントリークラブかなあ? こんな格好が許されるのもリゾートってゆーより、当時の日本人の奢り高ぶりの成せる技って感じがするけど、当時の私のドライバーの飛距離は半端ではなく、320ヤードの短いミドルホールを第一打でグリーンオーバーしたくらいで、イヤらしいほどに自信たっぷりなんだなーしかし。アクチュアリー、下りだったんだけどねー! ま、部屋の掃除をしていたら過去のいろんな写真が出てきて、なんだか遊んでばっかりの人生だなーって溜息がチョコっと出たよ。 反省は、全然してないんだけど…。

2012年4月12日木曜日

ホームパーティー。

愉しいホームパーティーだった。 しかし、当日の昼、インド人のシタール先生との英会話レッスン時に、「中学時代の友達が1人、家に来るので今日の夕方はホームパーティーなんだよー」って英語で喋ると彼女は「それはホームパーティーではなくって、単なる来客よー」って言う。「まあ、それは判るけど淋しいこと言わないでよー」って私。 彼女は、ただ笑ってたっけ…。 てなわけで、私のホームパーティーは御徒町の多慶屋で買ってきたシャンパン、缶ビールと瓶ビール、イギリスパン、グースのパテ、サバとニシンとサーモンの缶詰をテーブルに並べ、同級生のY氏と2人で喋る喋る。鬼盛り上がりってこのことかなあ。 で、今日は居酒屋とかレストランではなく、家で飲み食いすることの楽しさを再発見したよぅ。 今後は、いろいろと人を呼んで、このよーな企画を沢山組もうと密かに企んでいる私であった。以上。

2012年4月10日火曜日

お花見。

イギリスから帰国した際に、近所の松戸神社の桜が咲いていたことは先に書いたが、実はもう1つのお花見が身近にあった。 我が家のモクレンの木にも白い大きな花が咲いている。満開なのだ。品種はモクレンのなかでも大輪の花が咲くバタフライ。なので室内から見ても華やかな彩りが感じられる。 日常の些末なことから幸せな気分をサルベージとゆーかピックアップできる感性と、ワクワクドキドキ感の手押し車をプッシュし続けられるバイタリティーを大切にしていきたいと思う。 花を愛でる心には、ゆとりが感じられ、その緩やかな流れがお金を呼び込むオーラを醸成するよーな気がしている。そして春の日差しも楽しんでおきたいと思っている。

2012年4月9日月曜日

次世代モバイル通信LTE。

早けりゃいいってもんでもなかろうが、とにかく快適なのだ。我が家のインターネット環境が劇的に好転した。コペルニクス的と言ってもいいくらいだ。1通のDMにつられて、ヨドバシアキバのEモバイルショップに行ってみた。2年契約を更に延長する必要はあるものの、写真の新しい子機をゲットした。そして月々の料金は現在の4580円から3880円にコストカットできるとゆーオマケまで付いた。 フェイスブックやブログ、YouTubeの接続に時間がかからない、待たなくてもいいとゆーことで、今までのストレスが大幅に緩和される。これははっきりいって凄いことだ。 因みにLTEはロング・ターム・レボリューションの略ね。以上です。

2012年4月8日日曜日

駅前のメリーゴーランド。

スコットランド人の遊び心の賜物なのだろうか? グラスゴーの街の中心に位置するクイーンズストリート駅前の広場に、写真の大観覧車がデーンと構えているのだ。これには正直びっくりした。有料なのかどうかは確認しなかったが、実際に稼働し、人が乗っていた。 いつ、誰が、何のために、この大観覧車を造ったのだろう? 入口の見当たらない地下鉄といい、この大観覧車といい、ミステリアスなところがグラスゴーの魅力でもあるのかもしれない。 アデレードホテルの支配人テッドは、私が地下鉄の乗り口をついぞ発見できなかったことを、訝っていたし、私も彼が嘘をつくとは思っていないので何だか狐につままれたよーな気分でいる。 まぁ、夢のよーな6日間であったことは間違いないだろう。

2012年4月7日土曜日

仲間。

世界は一家、人類は皆兄弟。帰国後、まさにそんな感じで過ごしている。写真上はインバネスの「バズパッカーズ・バックパッカーズ」とゆー名のホステルのゲストルームにて。向かって左側がオーナー(アフリカのジンバブエ生まれ)、右側はドイツのハノーファーから夫婦で来ていたハッセー・ベルグマン(アムステルダム自由大学OB)。ハッセーは私に500ccロング缶のビールを1本くれた。ご馳走様! 下の写真はスコットランド鉄道、クイーンズストリート駅でのひとコマ。写真左が運転手のジェームス、右は彼の知人。北へ向かう列車は、このあと、インヴァネスまで牧歌的な景色を切り裂いて爆走した。車内ではいい雰囲気でスコッチウイスキーをチビチビ飲んでいたのだが、男8人のグループが途中駅で乗ってきてからは喧騒の渦中に巻き込まれてしまった。それも一興か!

酒屋とハギス。

上の写真はスコットランドの経済の中心、グラスゴーのブキャナンストリートに面した酒屋の店頭である。日本の酒屋と全く違う点にお気付きだろうか?  店員と客が完全にセパレートされているのだ。具体的に言うと、金網の向こう側にレジと商品と目つきの悪い女主人がいて、客は金網の外側から口頭か指差しで欲しい酒を指定し、小さな扉から先に金を入れ、一拍おいて女主人が無造作に差し出す酒を客は受取るのだ。 昼間から手の震えが止まらない赤ら顔の初老の男や店の入口のドアをすり抜けられないくらいのデブ女とかが、酒を求めて昼間から店に来ていた。現実に、この店で1番グレードの高い客は、間違いなく私だ。 おそらく、この金網デスマッチのよーなシステムは客とのトラブルを未然に防ぐための商売上のノウハウであろうが、スキンシップの欠片もないこの光景に、一抹の淋しさを禁じ得なかった。
下の写真はスコットランドの文化の中心で首都でもあるエジンバラの、老舗百貨店ジェナーズの裏手にあるパブ「アボッツフォード」で食べたハギスである。8ポンドだったので日本円にして1040円。ポーションはかなり多めだ。これはイギリスのパブの定番料理で、正確に言うと濃い茶色の部分のみがハギス。当地では肉屋で惣菜として普通に売っている食べ物だ。つくり方は細かく刻んだ羊肉にオーツ(オート麦もしくはカラス麦)を加え、羊の胃袋を容器にして茹でる。肉の佃煮みたいなものなのかな? 白はマッシュポテト、黄色はマッシュしたカブかパンプキンだと思う(違ってたらゴメンね!)。 実際、想定していたよりも遥かに美味で、イギリスに美味いものなしとゆー定説は間違いだ。フィッシュ&チップスだって冗談抜きにおいしかった。
やっぱ、先入観や伝聞、机上の知識など持たない方がいい。そんなことを痛感しつつ、英語でコミュニケーションが普通にできるレベルの教育を施してくれた両親に感謝をしたい。以上。

2012年4月6日金曜日

エジンバラの忠犬ハチ公。

昔、エジンバラにグレンフライアーズ・ボビーという名のスカイテリア種の犬がいた。彼は主人の死後、14年間の長きにわたり主人の墓に通い続け、エジンバラ市民を感動させたという。 今は写真のよーに、彼を讃えた像が立ち観光名所となっているのだが、当日私が写真を撮ろうとしたところ、9歳の彼女がそこに座っていた。私が写真を撮ってもいいかと話かけると彼女は同意し、自信たっぷりにポーズまでつくってくれた。 その「あなた、私のことが好きなんでしょ」的な「どや顔」で、彼女は生きていくのだろう。 若い女には、とても敵わないなあ。日頃、本気でそう思っている私だが、さらにその意を強くした。そして、西洋人全般に通じる社交性の有り様とゆーかコミュニケーションスキルの質の高さに改めて敬意を表したいと思う。

2012年4月5日木曜日

フォース鉄橋。

インヴァネスからスコットランド鉄道に乗り、南下する。パースを経ていよいよエジンバラだとゆー絶好のタイミングでフォース鉄橋のおでましだ。フォース湾に架かる高さ46m、長さ1600mのこの鉄橋は1890年の開通当時、世界最長を誇った。 112年目を迎えた今も1日200便以上の列車がこの橋のお世話になっている。 ただ単に鉄橋を列車に乗って渡っただけなのに、当日の私は子供のよーな歓声を上げてしまっていた。本当に、素晴らしい建造物であると思う。 そして、長生きとゆーか、できるだけ長く活躍してくれることを願う。メンテナンスに莫大なコストがかかるらしいが、そこはUKでなんとかしてちょうだい。 フォース鉄橋に、感謝の気持ちを込めてありがとうと言いたい。

紙幣。

グラスゴーの街外れにあるユーロホステルとゆー名の安宿のプレイルームのテーブルの上で、20ポンド紙幣と10ポンド紙幣を並べてみた。左はお馴染みのイングランド銀行の紙幣。エリザベス女王が微笑んでいる。右の2枚はスコットランド銀行とスコットランドロイヤル銀行が発券した紙幣で、そこに笑顔はないようだ。 ところで、スコットランド紙幣はイギリスから1歩外に出ると流通しない慣行になっているらしい。但し、イギリス国内では全く同じ価値の紙幣として扱われている。
硬貨もまた然りで、イングランドとスコットランドの硬貨がそれぞれ2種類ずつ並び立っている。なので外国人の私が、その識別に手間どったことは言うまでもない。やはりスコットランドはイングランドから独立がしたいのだ。
ポンドがユーロに参加しなかったのか出来なかったのかの理由は、こんなところにもあるのではないか? 統制経済の得意な日本で、国内に複数の紙幣、硬貨が流通するなんてことは全く考えられないだろう。しかし、ここUKでは、ことほど左様に現行のルールがまかり通っている。これらの紙幣を実際に自分で使ってみたからこそ、この実態がわかったのだが、このダブルスタンダードがいつまで続くのか、私には皆目見当がつかない。 なお、この上の単位の50ポンド紙幣にはついぞ縁がなかったが、この下の5ポンド紙幣のスコットランドバージョンはClydesdale Bankとゆー名前の銀行が発券をしていた。紙幣ごとに棲み分けとゆーか担当を変えているのだろう。 摩訶不思議な体験に釈然としない気分の私であった。

2012年4月4日水曜日

体力。

ロンドンのヒースロー空港で5日振りに日本語を喋った相手が、この13歳の彼女であった。春休みを利用して、1人でロンドン在住の叔母の家に遊びに来ていたという。大物だよ。
で、ヒースロー空港から成田空港までの11時間、私はブリティッシュエアウエイの心温まるサービスを堪能し、ワインとビールをガブ飲みした。酒量は300人のパッセンジャーの中でも上位10名に入っただろう。ロンドンから北海を経てスウェーデン、シベリア、アムール川を越えてさっき、日本に戻ってきた。嬉しいような悲しいような…。成田空港からは新鎌ヶ谷経由で松戸に着いた。ビックリするくらい松戸は空港に近かったのだ、実は…。とぼとぼと家路に向かうが松戸駅から自宅までは余りにも近過ぎて趣きがない。三分咲きの櫻を横目に、松戸神社に帰国の報告をする。
日常の、普通の暮らしが今から始まる。
さあ、日本モードに心と身体を変換しなくては…。

2012年4月2日月曜日

Adelaides guest house.

This great hotel is very cheap.The manager,Ted is friendly and kind.This hotel's owner is church.I paid only 35 pound.And I was surprised that this hotels check-in is free,so I can use from 8 o'clok.Ted is bright and he speak loud,but he is nice and comfy.
Thanks to Ted,I am beginning to love Glasgow.It,s no problem.

2012年4月1日日曜日

Edinburgh.

京都に姫路城を持ってきたよーな城下町、それが世界遺産のエジンバラである。ここはスコットランドでも1番の観光地。なので、ありとあらゆるものが高い。結果、何も買わなかったけどね。但し、老舗百貨店「ジェナーズ」の裏手にある「アボッツフォード」とゆー名のパブではしっかり飲み、食べた。ハギスとゆー挽肉と、じゃがいも、カボチャのすり身を蒸したものを初めて味わったが、これは何回でも賞味したい。ボリュームも満点で、この日の昼食とディナーが結果、これだけでこと足りた。
このエジンバラには写真のエジンバラ城、ホリルードハウス宮殿が鎮座しているのだが、両方とも家相が悪かった。幾多の悲劇がこれらの城内で起こった理由が私には判る。やっぱ、コの字型の、中が抉れた建物は良くない。エジンバラ城は北が抉れているので健康面、ホリルードハウス宮殿は西が抉れているので財政面にダメージがあった筈だ。歴史書を調べてはいないけど、おそらく私の見解は外れてはいないだろう。
まぁ、エジンバラは盛りだくさんだし、フォース湾の鉄橋についても書きたいので、これは後日、アップするよ。でゎでゎ。