2010年12月31日金曜日

大晦日。

おせちもあるんだけど、やっぱ年越し蕎麦(写真は京都・祇園「松葉」のにしん蕎麦)を食べてからだな。隣の松尾さんに貰った昆布巻と黒豆に、近所の三河屋さんで買った栗きんとんとハゼの佃煮をベースに家にあった卵焼、ナマス、インゲンの胡麻あえ、伊達巻、ブリの焼魚を白い大皿に盛る予定だ。あと、おから&ひじき&高野豆腐&ゆば春巻も乗せたいなあ。
2010年。あっとゆー間に終わった感じがするよ。いつもそーだけど、二日酔い以外は全く健康で、我ながら疲れを知らない子供のよーな中年だと思う。毎年恒例のゲロは、やはり年1回のペースを守っている。今年は松戸駅プラットホームにて。去年は銀座のクラブで豪遊させてもらい、おまけにタクシーチケットを頂戴したお陰で銀座から松戸まで優雅にタクシー利用、車を降りたとたん、家の前で噴射してしまった。
風呂掃除は終わったので、今年やることといったら、後は犬の散歩とトランペットの練習ぐらいか。昨日ホームセンターで仕入れたクヌギの腐葉土(14リットルで298円)が気に入ったので、今日、もう1回買いに行くかもしれないなあ。あとは、浅草橋の飲み会をこなして除夜の鐘。元日は庭木に油粕をあげて、初詣は松戸神社と赤坂の豊川稲荷へ。翌2日はサウナで箱根駅伝往路をTV観戦し母校の応援。3日はオフィスのある二重橋前まで行って、やはり箱根駅伝復路の応援。日大のピンクの小旗を配ってくれてたらいいのになぁ。
そんなわけで、例年通りのニューイヤーになる予定です。

2010年12月30日木曜日

とみ田。

松戸のつけ麺屋である。正式名称は「中華蕎麦とみ田」。2006年の創業だから、歴史はない。しかし、今、セブンイレブンで写真のよーな商品を売っている。超メジャーな存在となった。
私は行列に並ぶのが厭なので、2回しか行ったことが無い。なので、論評するなんてことはおこがましいのでしなーい。でも、今日、明星食品から発売されている同名のカップ麺を買って食った。288円。スープも同店の味を忠実に再現していて、カップ麺もここまできたかーと、唸ってしまった。
元々は大勝軒系だけど、醤油豚骨プラス魚介系のこのスープは、私には魚の味が強めに感じてしまうんだけど、どうでしょうか?麺はとりあえず太麺。インスタントでは限界があったかなーと思った。でも288円ならオッケーです。
ここ、松戸には寿司の美味い店はない。しかし、ラーメンなら西口に「ラーメン二郎松戸駅前店」、「大勝軒松戸店」。東口には「兎に角」、「まるき(ここのチャーハンは美味い)」、「とみ田」とレベルは高い。旭川に住んで「ラーメンの格付」とゆーレポートを書いた経験がある私が言うのだから、この点は間違いない。
言いたかったのは、松戸の寿司はマズく、ラーメンは美味いってこと。
上野から20分。常磐線に揺られて足を運ぶ価値は充分あると思うよ。以上。

日本。

私は国士ではないので偉そうなことは言えないけれど、日本の立ち位置とゆーか、現状、今後の展開に憂いている。金町中央図書館で借りてきた榊原英資の「黄金の人生設計図(人生90年をどう生きるか)」って本を断片的に読んだんだけど、みんなが人生90年をまっとうすることはできないだろう。中曽根康広さんみたいに長寿で有能な人は、いるにはいるけどごく少数だ。大部分は、子供を生んだ以外の社会貢献をしたことがない、普通のお婆さんたちが掛け金以上の実額を年金とゆーまやかし金融システムを通じて、抜き取り、貰い続け、90歳どころか100歳まで生き、その過程で医療費とか福祉関係のお金を搾取し続け、国の財源を蝕んでいくのだろう。子供を生まなかったお爺さんは更に貢献度が低い。
福祉って、生産性のない事業に、若い労働力が蝿取紙みたいに吸い寄せられている現状を憂慮しているのは私一人ではないはずだ。こんなんでいいのだろうか?
街に出ると、個人消費は未だに旺盛なように見える。買物や飲み食いをしてストレスを解消できるってのは、実は本当のことで、私の元顧客の資産家で超金持ちのS氏(杉並区在住)は「世の中で一番難しいことはお金を使わないで我慢すること」と、よく言っていた。確かに、1日に1円も使わないと、狂いそうな気持ちになることがある。日本の低金利によって、お金を貯めることを諦めた層は確実にマジョリティーになっていき、その大衆がヒスパニック化した結果、個人消費が動き出しているのではないかと考える。
「ドンキホーテ」や「しまむら」や「和民」、「ユニクロ」や「セブンイレブン」や「餃子の王将」、「ヨドバシカメラ」や「楽天」や「ソフトバンク」などで、あなたは衝動的な買物をした経験はないだろうか?
国防にぜーんぜん興味がなく、芸能情報やお笑い番組が大好きな、つまらない日本人が増殖かつ繁殖してしまった。彼らは公的には何も成さず、そのまんま年老いていく。そこには画期的なイベントや歴史に残るよーなサプライズの生まれる余地は少ない。
国策として、少子高齢化が叫ばれている割に、案外、真剣にこの命題を国是として推進しようとする層・ないしはグループって存在しないのではあるまいか?この国が、ぼんやりとまったりとゆっくりとしている間に、気が付いたら本当に中華人民共和国・日本特別自治区になってしまっていたとしたら?2050年にはそーゆー状況になっていても全然おかしくない。全てのことは起こりうる。全くもって危機意識の無い日本に溜息がでる。
2010年の年末に際し、一言苦言を申し上げた。以上。
3日連続で、息子が愛犬の散歩に行ってくれた。非常に助かった。この場を借りてお礼をしておく。ありがとう。

たちあがれ日本。

たちあがれ日本の共同代表である与謝野馨氏が脱退しそうな様相を呈してきた。元々は政界風見鶏と言われた中曽根大勲位の秘書であった彼だが、選挙区での人気・人望はゼロで民主党の海江田万里にも再三敗退している。いつだったか選挙カーの上でうずくまり、そのままたちあがれなかったので、たちあがれ日本の共同代表の地位を奪回することは不可能だろう。この12月の有楽町駅前での街頭演説にも1人来ていなかったし、なんとなく不協和音があったことは私も察知していた。私は平沼赳夫代表とは松戸駅前のデッキで握手しながら30秒ほど喋ったが、個人的にはこの政治家の愚直さが好きで、好感度は相当に良い。郵政民営化って案件で、最後まで小泉純一郎に反旗を翻したのも、対米隷属派議員の範疇に入りたくなかったためだろう。野田聖子なんて簡単に宗旨替えしたもんなぁ。長い物に巻かれない政治家である平沼赳夫と権力の中枢に擦り寄りたい与謝野馨では、所詮は水と油ではなかったろうか。平沼赳夫の支持基盤である「生長の家」にあたるベースが与謝野馨には無い。そーいった長年の努力をせずに、机上の空論を振りかざしてきた責めが、今、出ちゃったのかなーってゆー感じ。
なんか、与謝野馨には軸や仁義とゆーものがやっぱりなかったので、報道を聴いて、なるほどなーって思ったよ。鳩山邦夫とつまんない話をする暇があったら、愛国党の赤尾敏みたいに、数寄屋橋で街頭演説やりなさいよ。神保町のメシ屋のオヤジも、「与謝野さんて全然選挙区歩いてないもん」って言ってたっけ。
ほんとにショボい。与謝野馨には、がっかりだ。

2010年12月29日水曜日

池上線。

西島三重子のヒット曲、「池上線」に関する一考察を述べる。いつだったか、テレビでダチョウ倶楽部の上島竜兵(写真)が、この曲を聴いて大泣きしていた。私と彼は面識こそないものの同い年で神戸の中学・高校を出て、上京してきたとゆー共通点がある。なのでなんとなく空気感が同じで、その芸風に親近感を覚えることも手伝って、余計にこの曲が気になっていた。
で、今日は、この曲のストーリー性に着目した私が自分なりの解釈をしてみようと思うのだ。故寺山修司なら、この詞からどんな御伽噺を紡いでいくのだろうか。すっごく興味があるけど、今日は私が独断で綴ってみる。まずは、「池上線」の歌詞から。

古い電車のドアのそば
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか
忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら
ごめんねなんて言ったわ
泣いてはダメだと胸にきかせて
白いハンカチを握りしめたの

池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの

終電時刻を確かめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯りともす夜更けに
商店街を通り抜け
踏み切り渡った時だわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ
あとからあとから涙あふれて
後ろ姿さえ見えなかったの

池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの

山本モナと元巨人軍の二岡選手が利用した五反田駅西口のラブホ「ウエスト」で一戦交えた二人ではあったが、男はこのパターンに飽き飽きしていた。東急ストアの3階から繋がっている池上線五反田駅の改札に入り、古い車両に揺られ池上駅下車、徒歩8分に位置する彼女の自宅近くまで送って行くルーチンにも既に辟易していた。彼女は品川区で物流会社を経営する両親の一人娘で、清泉女子大の2年生であった。彼女の自宅は80坪ほどあり土地の値段が高かった関係で当時でも、少なく見積もって評価額は1億円を超えていた。なので、新潟県糸魚川市から出てきて(父親は地元のセメント工場に勤務)、川崎市登戸の安アパート住まいの日大商学部4年生の彼には、彼女の全体像が極めて華やかで魅力的に感じられた。
しかし、彼は典型的なスケコマシで、各沿線にセフレ(セレブではない)がいた。ありていに言えば、彼にとって池上線はワンオブゼムであり、実を言うと、特別な思い入れはなかったのだ。自宅に住んでいる池上線の彼女より、1人暮らしのOLや学生、あるいはディスコで知り合った主婦の方を彼は好んだ。東急大井町線の九品仏には三軒茶屋の居酒屋でナンパした昭和女子大の4年生が下宿していたし、東急多摩川線の鵜の木にも簡単に泊めてくれる歯科衛生士の27歳の女性のマンションがあった。加えて、西武池袋線の江古田には跡見女子大の、性格だけは極端に良いポッチャリ系の1年生、東武東上線の千川には池袋南口で働く美容師の美形の彼女(32歳)がそれぞれ住んでいて、交通整理が忙しかった。
池上駅で終電時刻を確かめたり、五反田方面に戻るフリをしなければならなかったのも、実は蒲田から鵜の木に行ったり、自由が丘経由で九品仏に辿り着いたりしなければいけなかった事情からだったのだ。池上の彼女に対し彼は、池上線で終点の蒲田まで行ってしまうルートを消しておく必要があった。
事実、彼は、池上の彼女とは別れたいと思っていた。下北沢の喫茶店のアルバイト(時給650円、交通費は出ない)で貰ったお金が、毎回毎回、五反田のラブホに費消されるのが単純に勿体無かったのが主たる要因にせよ、血液型がA型で粘着質の彼女との時間は正直、寛げなかった。だから、彼女には急遽、オクラホマ州立大学への留学が決まったと嘘をつき、別れ話をついさっき切り出したのだ。

「もう逢えないね、辛いけど…」。
「私待つわ、いつまでも待つわ(あみん)」。

おぼろげな記憶の中で彼は自分がこれからも、付き合った女性には満遍なく、均等に、やさしくし続けようと決心していた。心の中では赤い舌を出しつつも、しっかりと肩を抱き、憂いをたたえ一見淋しそうだがキラキラとした視線を、器用に相手の瞳に必要な分量だけ注ぎ込む技術を、若いながらも彼は、既に体得していた。

こんなん出ましたけど…。

2010年12月28日火曜日

もっと他にやることが!

最近の報道について思ったことは、日本のマスコミの後進性についてである。最早、いかんともし難いくらいに三等国化してしまっている現状には、ただただ憂慮せざるを得ない。
三等国なので3つ例を挙げる。まず、小沢一郎と菅直人・仙石由人・フランケン岡田の件。これはもういつまでやってんのって感じ。いい加減にやめなさいよ。詰め切れない詰将棋みたいなんだから。面白いのは菅直人の顔の変化だ。カイワレ食ってたころは、いい顔してたよね。今は、邪悪の神がとりついてしまったよーな人相になってきたねぇ。残念な人だな。
次、海老蔵さんとリオンさん。これも国民的にはどうだっていい話だな。もうやめようよ。酒席の喧嘩でしょ?いいじゃない、別に。リオンさんが圧倒的に強かったとゆーだけの話でしょ?それでいいじゃん。
最後、大桃美代子と麻木久仁子と山路徹の件。これは山路徹とゆージャーナリストが女性に優しいので、相当モテるってことを世間に知らしめただけのニュースだな。でも、パッと見だけの印象から判断するけど、この人、女性には目で語れるタイプだし、床上手なんだろうと思う。でも、まあ、これも、お腹一杯。
つい最近、福建省出身の林シオン君と喋ったとき、日本のニュースは同じ内容を繰り返してるだけってゆーご指摘があり、なるほどそうだなあって思った。外国人は客観的に、よく見てるよ、物事を。そして彼と私の間で、テレビは、どのチャンネルも大差がなく、観る価値なんてないとゆー結論に達した。彼はスポーツ番組以外はつまんない(メイイースー)って言ってたなあ。
まとめ。ことほどさように、最近の報道については、完全に日本のマスコミは女性週刊誌化、スポーツ新聞化してしまっていて、こども新聞にも劣る。
2011年度の予算に対する詳細な説明とか、韓国・北朝鮮の最新動向、ロシアの北方領土に対する現行のスタンスと今後の展開など、本来ならば、もっと他に一般大衆に知らしめる案件があるでしょうに!
そーいった暇つぶし(電波の無駄)、もしくはマスコミ関係者の食い扶持をヘルプするために、一般大衆が身銭を切ってUHFアンテナを設置し、地デジ対応に協力するボランティア活動は全く必要ないな。とにかく、コンテンツがショボ過ぎるって!腹立たしい限りだ。なので、我が家の屋根の上には旧タイプのVHFアンテナを、未来永劫、2010年の遺物としてこれ見よがしに残し、そのうちにそのポールを利用して、日の丸を掲揚しようかと考えている。アメリカ合衆国のご意見放送局であるNHKに至っては言語道断で、私が放送受信料を支払うことは過去も未来も絶対にない。ご法度だ。以上。

2010年12月27日月曜日

フケ。

冬の空気の乾燥が原因なのか、それとも不潔だからなのか、頭皮からフケが出る。パソコンの前でポリポリやってると、黒いキーボードの上に白い粉状のフケが!キーボードの溝にフケが入ってしまうのがイヤなので、歯間ブラシで掃除をする。でもまた暫くするとポリポリやってしまい、また白い粉が出て掃除をすることに…。
溜息混じりに、それを繰り返す。反芻反芻。けれど考えてみれば、これってごく当たり前のプロセスだ。私の持論に、「人生さしすせそ」とゆーのがあり、「さ」は酒。「し」は仕事。「す」は睡眠。「せ」はセックス。「そ」は掃除。だから「そ」の掃除は日常生活のルーチンワークと言っていいものだ。やはり、掃除は大事だ。庭の掃除、室内の犬の毛の掃除、耳掃除、歯磨き、朝のシャワー、床の拭き掃除、食器洗い、便器の掃除、風呂の排水溝と湯船の掃除、爪切り、散髪。これら全てが掃除のカテゴリーに入る。
マメにやらないとねー。
ところで、犬はフケが出ない。毛が黒いのに見たことがない。何でだろう?毛艶もいいしなぁ。羨ましいなあ。

2010年12月26日日曜日

バルサミコ。

有馬記念は結局、年賀状書きに手間取ってしまい、行けなかった。どっちにしても外れてたからいいんだけどね。
家に戻って、最初にアサリの佃煮を食べ、次にキャベツにバルサミコを振りかけてゆっくりと噛んだ。するとどうだろう。キャベツの甘みが口の中に広がっていくではないか!これはおいしいねえ。酒がすすむよ。我が家には、バルサミコの他、ナンプラー、オイスターソース、醤油、砂糖、塩、みりん、キャノーラ油、酢、豆板醤があって、基本的にはどんな料理でも作る自信があるよ。
ところで、このブログの読者の皆さん、こんばんわ。いつも読んでいただいてありがとう。今日は、データを調べてみたら、オーストラリア、ロシア、インド、ドイツ、スペイン、アメリカ、カナダの人たちからのアクセスがあった。うれしい限りです。今後ともよろしくね。これって、それぞれの国の言語に翻訳されてるんだろうか?もし、よかったら、英語でメールをください。必ず返信します。

年賀状書き。

今日の優先順位第1位は、年賀状書き。今日中に終えてしまわないといけないもんね。明日からは多忙になるしー。親しい人や、今年1年間で初めて知り合った人、遠方の人、恩人、親戚、保険のお客様など、に心を込めて書く。今年の年賀状に限らず、愛犬ドンキーの写真を入れたそれが我が家の定番となっている。それなりに楽しみに見てくれる方もいて、書く作業自体は、なんとなくほのぼのとしたものだが、宛名だけは毎年、万年筆で記すので雑になってはいけないと考えている。
2000年以降、企業でも個人でも、年賀状とゆーツールを軽視する傾向が続いている。Eメールのやり取りがすっかり定着したとの見方も成立するけれど、その本質はツールの多様化プラス人間関係の希薄化であろうと思う。昔は小学生に至っても年賀状を毎年書くことが習慣化されていて、国民的一斉作業だったよーな気がする。
時代を巻き戻せとゆーのではなく、せめて、年に1度ぐらい普段逢えない知人に思いを致し(皇族みたいだな)、筆をとることの重要性をかみしめてみる機会を大切にしたらどうだろうか?なんとなく、ほっくりとした心持ちになれるんじゃーないかなぁ。
場所はスタバを2件ハシゴして書く。2件目は100円で飲めるから経済的合理性がアリアリだ。寒い日は熱い珈琲と仲良くしたい。今日は内容が地味なので、ゴッホの「花瓶のバラ」をご覧あれ。

2010年12月25日土曜日

有馬記念。


競馬は、全くやってない。しかし、昔、私のお客様であった、故高橋昭明先生に北海道の社台ファームに連れて行かれ、共同馬主のレセプションに参加し、確か一泊した覚えがある。ミスターシービーって馬に、記念撮影中、背広の肩パットを噛まれたりしたのが懐かしい。
学生時代には宝塚記念を取っただけだ。モンテプリンスもしくはアンバーシャダイが1着、ワカテンザンが2着となったレースだった。基本的に博才の無い私は、ハナから負けると思っているので、その他のギャンブルにも一切興味がない。
しかし、有馬記念だけは1年の総決算みたいな行事だし、国民的なお祭りでもあるので、少し買ってみたいなー。たぶん1000円ぐらいしか買わないんじゃないかなと思うけど…。
今回、買う馬券はもう決まっていて、4番のトーセンジョーダン(写真)、12番のドリームジャ
ジャーニー、13番のオウケンブルースリの3点で流そうと思っている。理由は後で述べる。

92兆4116億円。

平成23年度(2011年度)の一般会計が92兆4116億円に決まった。民主党が財務省に丸投げした予算がこれだ。いろんな意味で国の成長が止まっているのに、予算だけが膨らんでいく。羊の群れは異を唱えない。これっておかしくないですか?特別会計は、後日決まるんだろうけど、まずはこの一般会計の中身を精査すべきでないのかなあ。
実際のところ、お金の出るのを防ぐ策として、人件費のカットが急務となる。何が言いたいかとゆーと、公務員の給与・ボーナスを半分に減らさないと駄目だってこと。それを平成24年度から実施して、予算の大幅カットが可能になる。
アクチュアリー、給与が半分になっても公務員の仕事の質に変化はない。元々、彼らは根を詰めて働いてないし、一部の官僚を除いては、真剣に労働した経験すらないレベルだからだ。現実には、給与を半分にすることで、大きなリストラ効果が期待できる。公僕としての志の低い連中は、厭になって、どんどん退職していってしまうだろう。そうすると、組織がすっきりとし、仕事のスピードも上がる。スピードが上がればスキルも上がる。スキルが上がればクオリティーも上がる。無駄な仕事、仕事のための仕事は淘汰され、いいことずくめになる。肥大化した行政のスリム化が実現する。
もう1回言う。公務員給与・ボーナスの半減。これをやらなければ日本は滅びる。具体的にどーやってやるかは、政治主導・トップダウンしかない。これができるのであれば、究極、今まで通りアメリカ隷属でも構わないとさえ思う。
公務員給与・ボーナスの5割カットは国是であると私は主張する。
写真はケニア人のモデルさん。こーゆー女性を採用しようよ。

AKB48.

朝早く、目覚めたので昨夜の残りの日本酒(奈良の春鹿)を備前焼の器で愉しみながら、AKB48の、今年6月に挙行された第二回総選挙の動画を、軽ーい気持ちでチラ見した。
結果、これ、格闘技よりも面白いことがわかったので、続けざまに鑑賞してしまった。生命保険の優績者の講演よりも、当選(?)した彼女らの一言一言が私の心の琴線をグアングアンと揺さ振り、心の奥襞にも突き刺さってしまい、各人別の動画を6つも7つも試聴してしまった。で、恥ずかしながら感動して頬に涙が伝ってしまったことを白状するよ。
若い女が頑張る姿。これって、もう単純に応援したくなってくるし、密室でゴチャゴチャやってる民主党よりも、圧倒的に民主的なルールに則った選挙結果なので、感動の密度が劇的に高くて当然だ。これは、秋元康のプロデュース力の賜物であり、彼の手のひらの上で転がされたイタイケな若い男がなけなしの金をはたいて買ったCDに付いた投票券によって30000票とかが集まり、思いがカタチになった時、そのスペースには間違いなくピュアな感動が生まれるわけだ。
上位当選の7人、大島優子、前田敦子、篠田麻里子、板野友美、渡辺麻友、高橋みなみ、小島陽菜についてだけど、大島、前田に関しては頭の良さ、篠田、板野、小島に関しては性格の良さ、渡辺、高橋に関しては意志の強さを感じたなぁ。
そして、おそらくだけど大化けするのはホリプロのエース、板野友美じゃないかと思う。小さくて可愛い。この最強のエレメントを充たすタレントは意外に少ない。そのカテゴリーって小泉今日子以来、出てきてないよーな気がするんだけど、どうでしょうか?たぶんだけど、板野友美は、大きな女優さんになるんじゃーないかな?あと、個人的に好きなのは12位の河西智美。Wともみりんってユニットでもいいなあ。
朝から日本酒飲んで、ブログのタイトルがAKB48!
おれも暇だねえ。あと、第1位は!ってドラムロールがジャララララララララーって鳴って、太った秋元康のブラインドから高井麻巳子が現れ、「主人がお世話になってまーす」と挨拶したらウケるだろうなあ…。ところで、相方の、ゆうゆは何処にいるんだろうか?
で、高井麻巳子、意外に保存状態が良くて、なるほど1位は違うって、みんなで納得してしまったりして、ねー。

2010年12月24日金曜日

クリスマスソング。

街を歩くと、ヒアアンドゼアで救世軍の人たちがカンパを募っている。社会鍋とゆーやつだ。クリスマスソングらしきものをラッパで吹いて聴かせ、「お願いしまーす」とやっている。どのトランペットも下手糞なので、その都度、優越感に浸る私なのだが、実を言うと救世軍が大嫌いだ。それなりの理由はあって、私が昔、証券マンだったころ、飛び込み営業で神保町の救世軍本営に資金運用の提案に行ったとき、ケンモホロロに門前払いを食ったからだ。断られるのは当然として、そのときの相手方の印象が悪過ぎ(おそらく証券の仕事は社会正義に反するみたいなことを言われたよーな記憶がある)、以後、絶対に、金輪際、この組織に対するサポートもしくはヘルプを止めようと決心したからなのだ。
ま、それはそれとして。今から、クリスマスソングについて私見を述べる。
クリスマス。それは街中が華やぎ、なんとなく懐が豊かで、微笑みのたえない1年で最も幸せな時期ではなかろうか。そんなとき、建物の外や中で、クリスマスソングが流れる。
ところが、私自身は、これらクリスマスソングのメロディーの稚拙さ、貧弱さ、技巧の無さにいつも辟易しているのだ。もっと、いい曲がどうして存在しないのだろうか。このことを私は子供時代から感じていて今に到っている。
古くからある、「きよしこの夜」や、トナカイさんの歌、ビング・クロスビーやナット・キング・コールが歌う「ホワイトクリスマス」。最近ではワムのクリスマスソングや、マライヤ・キャリーのやつ。帯に短し、襷に長しとゆーか、ぜーんぜん私の心に響かないのだ。もっと、ジャストミートするメロディーは無いのかよ、クリスマスソングには。
ちょっと、時期的なタームに幅があるのだが、スピードの「ホワイトラブ」なんかは、すごーく吸込みがいいんだげど、これって、クリスマスソングではないしなあ。
全く!誰かが早く定番の、ちゃんとしたクリスマスソングを創ってしまわないことには、この問題は解決しないと思うんだけどなぁー。

2010年12月23日木曜日

長崎ぶらぶら節。


なかにし礼が好きである。黒沢年男の「時には娼婦のように」の「ばかばかしい人生より、ばかばかしいひとときがうれしい」の詩は私の座右の銘といってもいいくらいに、頭の中の、かなり目立つ場所で陣取っている。
脱線がてら、氏の作詞による楽曲を羅列してみる。朝丘雪路「雨がやんだら」、アン・ルイス「グッド・バイ・マイラブ」、いしだあゆみ「あなたならどうする」、奥村チヨ「恋の奴隷」「恋泥棒」「恋狂い」、北島三郎「まつり」、北原ミレイ「石狩挽歌」、キャンディーズ「哀愁のシンフォニー」、小柳ルミ子「冬の駅」、島倉千代子「愛のさざなみ」、島津ゆたか「ホテル」、菅原洋一「知りたくないの」、鶴岡雅義と東京ロマンチカ「君は心の妻だから」、ザ・テンプターズ「エメラルドの伝説」、ザ・ドリフターズ「ドリフのズンドコ節」、ハイ・ファイ・セット「フィーリング」、ピーター「夜と朝のあいだに」、ザ・ピーナッツ「恋のフーガ」、弘田三枝子「人形の家」、ペドロ&カプリシャス「別れの朝」、細川たかし「心のこり」「北酒場」、黛ジュン「天使の誘惑」、森進一「港町ブルース」、由紀さおり「手紙」などなど…。
若い人には些か、古めかしい楽曲たちだが、それぞれのストーリーが浮かんできそうな作品ばかりで、頼もしい感じがする。その、作詞家なかにし礼が文壇に打って出、10年ほど前に第122回直木賞を受賞した。その該当作が「長崎ぶらぶら節」である。阿久悠が超えようと思って超えられなかった高い壁、それが、なかにし礼だったのだと思うが、その答えはこの小説の中に、鮮烈かつ原色で刷り込まれている。当代きっての、ひらがなの使い手は同じ直木賞作家の江国香織だが、それにも増して、なかにし礼のひらがなの使い方は知能犯的に巧妙である。安易な言葉をいとも簡単に操って、やわらかな風合いの叙情的な物語として、かるがるとゆるゆると綴っており、その意外なスピード感は読み手を幻惑かつ翻弄しつつ、揺りカゴに乗せたまま、一気に最後まで持っていってしまう。
芸の細かさに舌を巻いた。この小説の文章には、そんな魔法が内包されている。
ストーリーは長崎の花街・丸山にいた愛八とゆー名の芸者が、放蕩の風俗研究者古賀と、忘れられた地元の名曲を探して歩く旨の内容である。
序章と終章は雪千代とゆー、愛八が生涯をかけて救った愛弟子の芸者が回想シーンとして長崎弁で語り、その2つが餃子の薄い皮のよーに、しっかりと「あん」を挟み込む格好だ。65年前の話を85歳に老いた雪千代が喋るスタイルは、昔、観た映画「タイタニック」を彷彿とさせる。話は、愛八の古賀への恋心がフィジカル面では成就しなかったものの、愛八の葬儀当日の、古賀の弔辞によってメンタル的には結実・昇華したのではないかと思われる。著者は、恋とか情念とかエクスタシー、つまり直截的な男女間のやり取りを読者に判らせようとしたのではなく、畢竟、歌の持つ魔力、呪術性、はかなさ、力強さを知り尽くした著者の、歌とゆーものに対する未来永劫に渡るまことしやかなメッセージを、愛八と古賀の身体を借りて語らせたかったのではないか。そして、主人公の愛八は他ならぬ、なかにし礼自身ではなかったのかと私は思う。
「歌は人間の一念が巻き起こす稲妻たい」。この一行に集約されたエッセンスは、私に自然発露的な同意を促した。
この本を読み終えた私が、不覚にも泣いてしまったことは当然の帰結であろう。漠として長らく読みたいと想いながらも、何故かしら機会に恵まれず、読みあぐねていた作品が、予想を遥かに凌駕した珠玉の名作だと知った時、なんとも切ない達成感で胸が一杯になってしまったのだ。
才能の力とゆーものは、人の心を瞬時に虜にしてしまうものである。ともあれ、「長崎ぶらぶら節」は、人間愛を描いた稀有の小説であり、究極のところ、そのタイトルを「長崎ラブラブ節」に変更しても決して変ではない、と私は思っている。

天皇誕生日。

77歳の誕生日を迎えられた天皇陛下にお祝いを申し上げる。クリスマスイブの前日を休日にしてくれてありがとう。最近は耳が遠くなられたようだが、加齢による身体の変化は致し方ないよーに思う。長生きしてください。
そうでないと、皇太子が即位し、皇后陛下が皇太后になられ表舞台から姿を消すケースが多くなることが予想され、この影響は想定外に大きいだろうと考えるからである。
とゆーのも、雅子妃が皇后陛下の重責を遂行できるとは考えにくいからである。この部分での問題解決の可能性はどんな感じだろうか?
さて、今日の私はとゆーと、昼間まで寝てしまったのでこの後、金町にある葛飾区立中央図書館と浅草橋にある和民浅草橋駅前店に行く。図書館ではこの冬休みに読む、歴史的大作で今まで読みあぐねていた海外の小説を中心に20冊ほど借りてくるのと、和民では鍋とホッピーを愉しんでこようと思う。この店は繁盛店で昨日1日の売上げは100万円を超えたらしい。温州出身の林昌芳くんからメールで知った。凄いことだよ。
外は寒いけど、旭川ほどではないので、元気に1日を過ごそう。

2010年12月22日水曜日

年末ジャンボ宝クジ。

西田敏行が、「当たるぅー、当たるぅー、当たりますぅー」と明るく歌っているものの、これは明らかな嘘で、正確には「奇跡的に、当たるかもー、そんなー人もいるんだよー」って歌うべきだ。虚偽表示とゆーか、射幸心を煽るミスリードはいけないと思う。
でも、2億円当たったときの計画は立てておいてもいいかもしれない。ぉーし、以下のよーにしよう。
カランダッシュの黄色いボールペンを買う(45000円)。住宅ローンの繰上げ返済。グローブトロッターのスーツケースを買う(186000円)。墓石の購入(1500000円)。父の実家の建てかえ。中古のドライバー購入(23000円)。ブラジル銀行にレアルで預金。庭師に頼んでオリーブの枝を1本切ってもらう。旭川にスキー旅行。マズイぞ。この時点でもう欲しいものが無くなってしまった。探さなきゃ。うーん、日本FP協会の年会費(12000円)。灯油。犬の餌。自転車の空気入れ。ショボいなぁ。節約生活が身体に染み付いてしまっているよぉ。

2010年12月21日火曜日

やめてくれ!


あれほど言っただろ!書斎にウンコするなって!何回言ったらわかるんだ!もうお前の面倒は見ないぞ!散歩にも連れて行かない!餌も回数を減らす!ベッドにも入ってくるな!ソファーで横になるのも厳禁!いくら反省しても駄目なものは駄目だ!

備前焼。


中央区銀座5-6-10 ミヤコビル2階に「夢幻庵」はある。蕎麦屋ではない。備前焼の窯元が銀座に出した所謂ショールームだ。みゆき通りを歩いていて、ふと気がつくと立ち寄っていることが多い。
小橋さんとゆーオーナーの娘さんが11時から19時まで詰めていて、しっとりと落ち着いた雰囲気だ。加えて、値段も岡山の本店と同じにしてあるらしく、強烈に高い作品は置いていない。備前焼は元来、ぐい呑みと花瓶が主で、清水や有田と違い、ご飯茶碗は昔から殆ど創っていないらしい。何も知らない私が、当初、御飯茶碗をこの店に探しに行ったのだから、笑える。
写真の通り、ぐい呑みが中心の品揃えで、たまーに、ここで真昼間から日本酒をご馳走になったりしている。私のオアシス的なお店で、すごーく居心地がいい。そのわりに私がここで買ったものといえば、岩本哲也氏による湯呑み(3800円)1個だけである。お金に余裕ができたら、いろいろと揃えてみたいが、いつになることやら。

延坪島。

勝負あった。北朝鮮は完全に白旗を上げた。
昨日、現地時間の14:30から16:00までの1時間半、韓国軍による海上射撃訓練が粛々と行われ、北朝鮮の人民軍最高司令部から声明が出された。以下のコメントだ。
「今回の砲撃は、韓国の宣伝用の挑発であり、いちいち対応する必要性を感じなかった」。これはイソップ物語でキツネが「あの葡萄は酸っぱい」と言ったのと同様に、目的を遂行できなかった逃げ口上に過ぎず、完全なる敗北を宣言したに等しい。訓練には20名の米軍兵士を通信演習の名目で参加させていたのと並行して、平城にリチャードソン・ニューメキシコ州知事を送り込み核査察の一部受入れを認めさせたのだから見事であり、アメリカの面目は保たれた格好だ。
これにはペンタゴンの緻密な分析があったよーに思う。要は、北朝鮮が備蓄している石油の絶対量が不足していて、その補給がままならないどころか、最早、抜き差しならぬ事態に直面しているとゆー情報を得ていたようなのだ。彼らは冬を越すための燃料にも事欠いてもいる。だから報復することで、無駄な燃料を使いたくなかったというだけのことだ。ロシアが事前に北朝鮮に対する攻撃を牽制したのも、おそらく、北朝鮮の弱さを白日の下に晒してしまうことのデメリットを感じてのことだろう。
今回、1番、得をしたのはリチャードソン州知事だろう。彼の人気は急上昇するに相違ない。
一方、菅総理はこんな一大事においても保身のため、小沢一郎の離党勧告を匂わす程度のことしかやらない。これって、コンプライアンスばっかに力を入れて、営業をやらないどこかの金融機関みたいだなあ。他にやること、いっぱいあるっしょ?情けないなぁ、マジで。

2010年12月20日月曜日

オーバースペック。


お遍路に行ったり、カイワレほうばったり、コメディアンとしてのこの人は、ややオーバースペックなんじゃないかなって思うけど、内閣総理大臣として見ると、将棋の駒より軽いようだ。もう少し、マシな持ち駒はなかったのだろうか?やっぱ、ここにきて私がいいなあと思うのは、稲田朋美だ。小沢一郎の下で研鑽を積めば、女性初の内閣総理大臣になれるんじゃないの?バランス感覚が無く、頑ななだけのれんほう大臣より、よっぽど日本の国益に合致した政治家だ。10月6日の代表質問は、憲政史上ベスト3に入る演説ではないかな?説明が後先になったけど、写真の坊主頭が、菅直人総理大臣。お遍路に行った理由は、なんだったんだっけ?穴兄弟の元幹事長に聞いてみないといけないな。

2010年12月19日日曜日

小沢征爾。


12月18日に、ニューヨークのカーネギーホールでブリテンの「戦争レクイエム」が演ぜられた。指揮は75歳、病気療養中の小沢征爾。椅子に座っての指揮で、立ち上がる場面もあったよーだが観ていないのでわからない。紛争の火種が無くならないどころか、今にも燃え盛らんとするこの時期に、政治家ではない一音楽家が世界のド真ん中で発したメッセージに共感する識者は少なくない筈だ。世界中の武器が、全て楽器に変わったなら戦争は物理的に不可能になる。「戦争レクイエム」は第二次世界大戦に警鐘を鳴らす目的で創られた曲だが、それをこの時期に日本人の小沢征爾がニューヨークでやるという意義はもの凄く大きい。
翻って、日本の主権をアメリカから奪還しようとする小沢一郎に対し、菅・仙石・岡田・前原・枝野・玄葉などの小物政治家はマッチポンプの役割しか担っておらず、存在する意味がない。なんとも嘆かわしいことだ。華原朋美に代わって颯爽と表舞台に現れた稲田朋美の方が、絶対に使えると思う。自民党なんだけどねー。
そろそろ、話を、小沢征爾に戻さないとね。
成城学園高校から桐朋の短大を出た小沢が、当時、大きいことはいいことだーの山本直純と同門だったことを知る人は少ない。卒業後、小沢は貨物船にギターとスクーター持参で乗り込み、単身渡仏を果たす。現地で、数々のコンクールに出演し、当然のよーに入賞する。才能あるねー。凱旋帰国後、その音楽活動が順風満帆に見えた彼だったが、1つの事件が起こる。NHK交響楽団第九ボイコット事件だ。コンサート会場で当日、団員はゼロ。1人で指揮台に上がる屈辱を味わう。小沢征爾、27歳であった。
その後、日本での音楽活動に見切りをつけた彼は、カナダのトロント交響楽団の主席指揮者に就任、以後、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団、ウイーン国立歌劇場の音楽監督を歴任した。
30年の長きに亘ってボストンを率いた功績もさることながら、特筆すべきは2002年から2010年にかけてウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任したことだろう。このことは、朝青龍が日本相撲協会の理事長に就任するよりも難しいとゆー認識を、私は持っている。カラヤンとバーンスタインに師事した小沢征爾は偉大なマエストロであると同時に、大晦日に浜崎あゆみと共演したりもできる大衆性も兼ね備えている。全く、凄い。凄すぎる。
現在、解っている事実は、日本には世界に通じる偉大な音楽家と政権担当能力を持った政治家が1人づついて、その2人が、偶然同じ苗字であるということだけだ。

2010年12月18日土曜日

ヤマサ・昆布ぽん酢。

今日の午前3時から午前7時までと、午前8時から午後4時まで寝たので、都合12時間睡眠を貪ったことになる。師走で身体が疲れていることは間違いないが、眠り過ぎて、かなり損した気分だ。
で、ちょっとした愉しみを設定しないといけないと思い、それはなにかとゆーと、やっぱり飲み食いしかなかったので、そーいった面では私も犬と同類項なんだなぁ。溜息。気を取り直して、早速、ストウブの鍋で房総半島南部の「あこがれ」とゆー銘柄の米を炊き、無印良品で買った伊賀焼の土鍋で豚しゃぶを食べることにした。飲み物はトリスハイボールだ。
相変わらず米を炊くのは天才的に巧く、綺麗な銀シャリが炊き上がったのだが、これはひとえに浄水器の東レ・トレビーノの力に拠るところも大きいんだと思う。そして、100円ショップで買ってきた沖縄産の豚コマギレに鍋用野菜ミックスを。縦に切った長ネギも追加して待つこと数分。簡単にできあがった。最後に、写真のヤマサ・昆布ぽん酢を使ってフィニッシュ。もう、ほんとにおいしいもんねー。
最後に何故、私がヤマサ・昆布ぽん酢を使うのかを説明しておくと、理由は3つあるのよ。
まず、昔、親しかった寿司職人の故、秋山修氏が日本橋大伝馬町で覚えた仕事はヤマサ醤油がベースになっていて、それは一生変えないと言っていたからで、私もヤマサを支持しているとゆー点。次に、兵庫県出身の私はヒガシマル醤油が好きなんだけど、何故だか銚子出身の人にお世話になることが多いため、千葉県在住の今、野田のキッコーマンではなくて、銚子のヤマサとヒゲタを贔屓にしたいと考えている点。最後に、芦屋雁之助のCMの歌で「こんぶこんぶこんぶつーゆ、こんぶをぎょーさんつこてるの、ヤマサ」とゆーメロディーにマインドコントロールされてるってゆー点。
なので、私はヤマサ・昆布ぽん酢を使い続けたいと考えています。

2010年12月17日金曜日

椿山荘。


3年に1回行われる東京商工会議所の議員選挙の当選お祝いに、椿山荘まで行ってきた。食事はランチに毛が生えた程度で、正直言って美味しくなかった。ホテルのバンケットで出す料理は、せーので同じ物を大量に調理し、しかも同じタイミングでサーブしないといけないので美味しかろう筈がない。しかも、マニュアルでがんじがらめに縛りを設定するので、個々の作り手が冒険できない仕組み。なので必然的に大人しい料理になってしまうわけだ。加えて、ホテルってゆー商売は常に人件費が足かせになっているので、コスト的にも大変だな。それから、ここは築地の藤田水産って仲卸しから魚を仕入れてるんじゃなかったっけ?実際に、厨房の人は築地に行ってないんじゃないんじゃーないかな。結構、手抜きかも。
それにしても、ここ椿山荘は高杉晋作と伊藤博文を肝心なところで見捨て、勝ち馬に乗れそうになってから後出しジャンケンを多用しトップに上り詰めた山縣有朋の屋敷跡なので、なんとなくすっきりしないオーラが出ているなあ。
相当、いろんな利権を得て、富を蓄積したんだろう。彼が、そーいった才覚に長けていたことは間違いない。その辺は個人的に学ばないといけないけど、私は地道に戦略的低成長で行くよ。以上。

2010年12月16日木曜日

秋田屋。


浜松町の超有名店、「秋田屋」で、やきとんを食ってきた。が、結論から先に言えば十年一日のごとく、進歩が見られなかった。残念だ。写真のメニューで1300円。ぜーんぜん不満足だ。当分、足が向かない。
具体的には、素材にジューシーさが無い。加えて焼き方が大雑把で、繊細さを欠く。だから串に刺した肉の隙間から愛情らしきサムシングを感じ取ることができなかったのだ。隣で、弟が東大を出て某都銀のニューヨーク支店にいて、最近買った200万円のネックレスの話をピーヒャラとノタマウ不細工な初老の女性がその友人と飲んでいたのも、私の心証を害した。こんなんじゃ、家で犬とトリスハイボールを飲んだ方がマシだって結論に達したので、山手線に乗ってショボーンとして帰路についた。
秋田屋に飽きたや。

2010年12月15日水曜日

イワン・イリイチの死。


「イワン・イリイチの死」はトルストイの後期中編小説で、望月哲男訳の光文社古典新訳文庫なので、ほんとスピーディーに読めた。何でこの本を借りてきて読んだかってゆーと、私の父の名前が岩本輝一なので、イワン・イリイチと発音が似ているため私が親近感を覚えたってゆーのが1番の理由かなぁ。
19世紀ロシアの裁判官が、自身の死に直面した際、右へ左へ揺れ動く45歳の悲哀を描いたストーリーで、短い小説なので、主題が複数あって同時並行して進んでいくといった類の作品ではなく、そのシンプルさ故、すんなりと読めてしまうのが嬉しかった。成功ってゆーか立身出世した法曹関係者(イヤな奴が多いんだけどねー)にありがちな世の中を天井から俯瞰したよーな幸せの絶頂を人生の中盤で味わいながら、最後は地べたに限りなく近いベッドやソファーの上で、のた打ち回りながら元気ハツラツの妻を呪いつつ死んでいくその様を、トルストイは極めて解りやすい心理描写で表現した。その問いかけは普遍的なもので、人生に意味はあるのかとゆー、こだまのよーに言い尽くされたそれである。私の友人の陳海明(福建省出身27歳)には、レンスン・メイイースーとゆー口癖があり、その意味は「人生に意味はない」とゆーものだ。翻って、50歳の私が自分自身に問いかけてみても、明確に、これこれこーゆー理由で人生には意味がある。ライフ・イズ・ビューティフルだー、って断言できるほどの材料は、残念ながら持ち合わせていないのよ。松山千春はその歌のなかで、「どうして生きているのー?君は僕にたずねたけれーどー、答えを急ぐことはーなーいー、やがてわかるーかーらー」と歌うのだが、これもアクチュアリー、問題解決の先延ばしでしかなく、質問の答えにはなっていない。
昔、よくテレビに出ていた占い師の泉アツノ(元タカラジェンヌ)なら「こんなんでてますけどー」と紫の頭巾の間から、明確に答えてくれるのかもしれないなぁ。まだ、存命だろうか?

2010年12月14日火曜日

空軍自衛隊、官製談合が4年間で76億円だって!

航空機の整備費がオフィス家具の購入費に充てられたって、よーく考えたねえ。頭いい。コクヨ(コクヨじゃなかったらゴメンネ!)とかそーいったメーカーにシナリオ書いて渡して、実際に支払ったお金と、建前上のお金の差額を出してしっかり飲み食いしたんだろうなあ?羨ましいなあ。タダ酒が1番旨いのは古今東西同じだからなあ。その差額で自家用車を購入したり、住宅ローンの返済とか、ギャンブルに使ったりもできるもんなー。やっぱ、官僚になって出世するのが1番の幸せだなあー。私も、小中高ともっと勉強しておけばよかったなあ。残念だ。でもなあ、これってまるっきり税金の無駄遣いだからタチが悪いよ。昔、アメリカの航空会社から児玉誉士夫が21億円貰って、小佐野賢治経由で田中角栄に渡ったとされるお金だって5億円だからねー。これは一種の企業献金だから、別にどーってことはないでしょ?けど、血税で官僚たちが組織ぐるみでピンハネするのって、庶民感覚をオーバーシュートしてるよねぃ。宴会のどさくさに紛れて自腹を切らない、そこらへんのセコイ幹事さんと一緒じゃんねー。

2010年12月13日月曜日

仮免許。


菅総理の仮免許発言は、どうしたもんだろう?これって、柳田法務大臣的ではないのか?仮免許で路上に出るのは十代の若者であって、かりそめにも政治家としてのキャリア充分の60代の、しかもだよ、一国の総理大臣が口にする言葉とは、にわかに信じ難い。ヤクザだったら、その場でタコ殴りに遭うんじゃないの?中学生ぐらいでも強い部活だったら、部員の誰もが、以後、口きいてくれなくなるよ。
仮免の総理大臣に国政を任せる国民の気持ちって、どんなだろうか?そんなにペロペロ舐めないで欲しいわぁ。中国やアメリカやロシアのトップが、「いやあ、これまでは仮免だったんで、これからは本気出します」って言うと思いますか?支持率を真面目に調査するのも馬鹿馬鹿しい菅総理。奥さんも汚らしい感じだし、臭そうだ。いつまでやるつもりなのかねえ。語るに落ちるとは、正に、このことだ。
でも、この時期に硫黄島にマスコミ引き連れて行って、成果はあったのかねぇ?お金、勿体無くないのぉ?ま、パフォーマンスは仮免じゃ、なさそうだ。プロフェッショナルだな。間違いありません。
外は冷たい雨が降ってるよ。合掌。

炊飯器。


我が家の炊飯器はこれだ!フランスのアルザス地方からお招きしたストウブ社の鍋22cmで、この鍋に炊飯器の役割をお願いしている。やり方は15分炊いて、15分蒸らすだけ。いたってシンプルだ。今までで失敗は1回もない。

2010年12月12日日曜日

肉体の悪魔。

20世紀初頭、腸チフスにより弱冠20歳でこの世を去ったレーモン・ラディゲはフランスの作家である。詩を除いた作品はこの「肉体の悪魔」と「ドルジェル伯の舞踏会」の2作となるので論評のしようもないのだが、とりあえず、「肉体の悪魔」の読書感想文らしきものを書いてみようと思う。
本作では主人公の15歳の少年が19歳の人妻と恋愛をするとゆー、ありきたりなストーリーが展開されるのだが、フランス文学のエッセンスが詰まった心理描写に、「うーん、よく書けてるなあ」と感嘆することしきりであった。ラファイエット夫人の「クレーヴの奥方」、コンスタンの「アドルフ」から連なるフランス文学系心理描写の蜘蛛の巣に読者が囚われてしまうのは当然の帰結で、正直に言って十代で読み終えておくべき作品であったように思われる。文章は硬質とゆーか、濃縮還元とゆーか、フリーズドライとゆーか、相当に推敲され計算された結果のそれで、贅肉がない。障害物を避けて曲がりくねった道を往くのではなく、ピンポイントでA地点とB地点を結んだ感じだ。考えつくされた文章ほどスピーディーに読めるとゆーのは本当の話で、実質的には常磐線の上野から松戸までを何回か往復する間に読み切ってしまった。
この物語は作者であるレーモン・ラディゲ自身が14歳の時に出逢ったアリスとゆー24歳の女性がモデルになっており、16歳の終わりから20歳の始めのおよそ3年強の時間をかけて完成させた力作である。私生活ではジャン・コクトーと時間を共有することが重なり、彼との同性愛が噂されたラディゲ…。このあたりで、若い頃の三島由紀夫がラディゲに傾倒していた理由に合点がいく。同時平行して執筆していた「ドルジェル伯の舞踏会」の校正に没頭し、ピケーで食べた生牡蠣による腹痛を医者に診せなかったラディゲが腸チフスの宣告を受けたのは1923年12月であった。
その数日後、彼は死ぬ。哀しみに沈むジャン・コクトーはアヘンで心の安寧を保とうとし、文壇から消えた。病気療養中の1929年、コクトーがベッドの上で3週間で書き上げ、世に問うた作品が「恐るべき子供たち」であった。その主人公ダルジュロスのモチーフこそ、レーモン・ラディゲその人であった(ように私は思う)。

2010年12月11日土曜日

日本の男性ボーカル。


前にもこの企画で書いた記憶があるけど、久し振りにこれでいってみよう。
順位を付けるのは失礼なので、名前をザーって羅列してみるわ。好きな順番かもしれないな。
美輪明宏、やしきたかじん、萩原健一、久保田利伸、石原裕次郎、玉置浩二、石井竜也、勝新太郎、つんく、上田正樹、黒沢薫(ゴスペラーズ)、桜井和寿、松山千春、中西保志、槙原敬之、田島貴男(オリジナルラブ)、徳永英明、矢沢永吉、布袋寅泰、つのだひろ、山根康広、キラー・カーン、桑田佳祐、福山雅治、忌野清志郎、布施明、平井堅。こんな感じかなぁ。以上27人の名前をYouTubeに入れて好きな動画で鑑賞してほしいんだな。あくまで私の個人的な好みなんだけど、この27人を集めて大晦日に1曲ずつ歌ってもらうことが可能なら、空前の歌番組が完成するとおもうんだけどねー、どうでしょうか?
司会は玉置宏でお願いします。なお、写真のムーディー勝山は最終選考でもれました。

2人の議員。



てゆーか、1人は石川県の野々市町の粟貴章町長(写真左)で、もう1人は京都府亀岡市の井上耕作、元市会議員(写真右)だ。この2人と私は大学1年生のときに同じクラスであった。粟町長は日本大学雄弁会にいて人格的にも立派なのに対し、現在落選中の井上耕作元議員は、ただ目立ちたいだけのつまらない男だったよーに記憶している。
粟町長は参議院議員の秘書をやったり、旧竹下派七奉行の奥田敬和氏と懇意だったよーなので、地盤も看板も鞄も磐石なんじゃないかな?一方、井上君に関しては、なんちゅーかブログで見る限りは活動量も多そうだし、多分、1月23日の亀岡市会議員選挙で返り咲くかもしれないことを予想している。よかったね。
しかし、京都府亀岡市は人口9万3000人に対し、市会議員の数は26名。因みに松戸市は人口48万1000人に対し、市会議員の数は44名。ここで電卓。とゆーことは、松戸市のほーが3.05倍市会議員にはなりにくいとゆーことだな。言い方を変えれば、亀岡市の市会議員の3人に2人は必要ないってことになる。だからどーでもいいよーな、輩が立候補しても、当選して4年間お金が貰えるってことになるんだなー。ちょっと羨ましい気がするなぁ。
まあ、人生、人それぞれなので、お互いにがんばりましょう。地味な、終わり方でゴメンネ。

資本主義とゆーネズミ講。

物価の優等生と言われて久しい鶏卵が値上がりしてきている。なるほど、100円ショップで8個入りのパッケージが消え6個入りもしくは4個入りが幅を利かせるよーになった。理由は簡単で政策的に減産させるスキーム下で起こった100年ぶりの猛暑がこの年末の価格上昇に追い討ちをかけた格好だ。真夏に夥しい数の鶏が死んだとゆー事実が今頃になって周知の事実となっている。
個別の事案については簡単な、経済ってモンスターは、ことマクロとなると多くの有識者が正反対の手を打ってしまうほどに、厄介な存在だ。
昨日、ちら見した「米国長期金利上昇」のミニ情報は実は大変重要なニュースで、場合によっては米国経済、終わりの始まりと言うべきものだと私は思う。(ちょっとトイレ行ってくる。大きい方です)
アクチュアリー、短期金利ってFRBとか日銀が人為的に決めて、コントロールできるものなんだな。しかし、長期金利は実需なので、需給関係によってのみ成立する性質のものであるから、バーナンキ議長が口先介入しても無理だってことは明白だ。債券とゆーオバケ市場を米国一国が管理できるほど事態は甘くない。
そもそも、長期金利の上昇ってゆーのは、指標銘柄の信認性が薄れて、換金したいってニーズが発生するところから始まる。100円で償還を迎えるものを、それまで待つメリットがないから96円で叩き売るってことだな。だから利率が2.8パーセントの債券が残存期間にもよるけど3.2パーセントの利回りになってしまうわけだ。そうすると今度新しく発行する債券がよっぽど顔のいいものでない限りは、同じ期間なら3.4パーセントで市場に出てくる。そうしたら、利率2.8パーセントの債券を100円で買った人たちは3.4パーセントの新発債のほうが好きって思っちゃうでしょう。
それもこれも、これまでに刷って刷って刷りまくったペーパーマネーに対する一般大衆の不信任が鎌首をもたげてきているからなんだと思う。このドル紙幣、大丈夫なんだろうか?この財務省証券持っててもいいの?なので、金の値段が史上最高値をつけてしまうわけだ。金は紙っぺらではないので大量生産できないからねー。あと、紙の世界だけど、今は通貨スワップとか、為替や株式指標の先物・オプションなどのデリバティブが花盛りで、ギリシャなんてゴールドマンサックスに国ごと騙されてるからねー。オナシスみたいな逸材がいれば、そんなふーにはならなかったろうに。ま、とにかく、お金を刷りすぎた責めで史上最高の金余りが継続してるから、金融派生商品は当然多く、マーケットの撹乱要因になっていることも事実である。
アメリカ一国でゆーと、ベン・バーナンキ議長の得意分野であるハイパーインフレが示現してしまう可能性がでてきたってことだな。
資本主義とゆー名のねずみ講も、今やシステム障害ってゆーか、制度疲労を起こしていることは確かなので、これから先、いろんな問題が出て来るんだと思う。人類の英知で切り抜ける他はなさそうだ。

2010年12月10日金曜日

My happiness.

今は、クラークとゆー人のトランペット教則本を、おさらいしている。半音階のスケールが楽譜に書いてあって、それをゆっくりと、段々に早く、PP(ピアニシモ)からF(フォルテ)まで序々に息の量を増やして、オーディエンスに心地よい音でやっている(つもり)。
これをやったからといって、お金が儲かるとかではないんだけど、生涯学習の一環としてやっているし、もっともっとうまくなる筈なので、毎日、少しずつでも吹くようにしている。幸い、今は高性能のミュート(弱音器)があるので、極端な話、夜中の2時であっても演奏可能だ。
トランペットを吹いたら音が出る。お金は1円もかからない。夢がある。健康である。こんなに幸せなことはない。世界中の武器が全て楽器に、くるりと変わったとしたら、間違いなく戦争はできない。音がウルサイだけの世の中になるのかもしれないけれど、それっていいんじゃないかなあ?

2010年12月9日木曜日

表彰式。


なんだかなー。会社の2010年度下期表彰ってセレモニーに該当してしまい、保険をよく売るオバチャンたちに混じって、微妙な時を過ごした。上の写真は二次会で六本木のホストクラブ。下の写真は、やはり六本木のライブハウスを貸し切っての一次会。日本はオバチャンとオバアチャンの国であることの証明は、この2枚の写真から実証できる。まあ、この夜は可もなく不可もなく終わったのだけれど…。
宿泊先のANAインターコンチネンタルホテルのフカフカの寝具に包まれて目覚め、レストランで優雅に朝食をとっていると、そこへオバチャンの群れが!悪い予感。私のテーブルに皿と飲み物を置いてから、「ここ、いいわよね」だって。よその席からも椅子を移動してきて通路を塞ぎ、私のテーブルは一瞬にしてファミレス化してしまった。レストランにはK-1チャンピオンのセーム・シュルトがいたんだけど、遠目に、私の窮地を笑っていたようだった。長々とした不毛の会話が続き、この朝8時半から、10時半に及ぶ2時間のブレックファストは私の同史上ワースト3に入るそれとなった。
その後、部屋に戻った私が心地よい開放感と脱力感とともに、小1時間の眠りについたことは言うまでもない。

2010年12月8日水曜日

或る夜の出来事。


昔の映画でクラーク・ゲーブルとクローデット・コルベールが演じた「或る夜の出来事」って、なんか愉しいストーリーだったよーに記憶してるけど、今日は映画の話じゃなくて、或る夜、私に起こったちょっとした出来事について綴る。
2日ほど前の夕方、松戸の自宅に帰った私は、犬の餌が少なくなっていることに気がついた。私もそうだが、食べ物は犬の生命線を司る。無いと生きてはいけないわけで、早速、家から自転車で10分弱のペットショップに、スーツ姿のまま買いに行った。ほどなくして店に着き、6kg入りの餌を持ってレジまで。右のズボンのポケットから、いつものよーに札入れを取り出そうと手を突っ込んだ。刹那、頭の中が真っ白に!財布が無いのだ。自宅を出るときに間違いなくあった筈のそれが、忽然と消えていた。
何とゆー不運!よりによってその日の所持金は、いつもの100倍は裕に超えていた。
何故かしら12月は、お金が傍らにあるもので、私にツキがなかったのか…。2秒ほど呆然とした後、私は意を決し、踵を返した。
「探すのだ、草の根を分けても捜すのだ、真剣に、今、できるだけの手を打つのだ!」。私の中の本能がスイッチをオンにし、パワー全開だ。自転車に乗り、逆方向に低速で、路面を凝視しながら進む。私の鬼気迫った表情に、道すがらの人は恐れおののき道をあける。「ガルルル、絶対に見つけ出すのだ!」。うめき声にも似た小さな叫び声を発しながら、私の探索は続く。不安は全く無かった。探すことにのみ集中していた。ただ、獣のよーな視覚と臭覚が、私を包んだり掴んだりして離さなかった。
数分後、獲物に出くわした。瞬間、私の心に喜びのタイマツが灯をともした。暗い歩道の真ん中で正三角形にフィクッスされた私の札入れが、挑発的な態度でこちらを見上げているのが目に入った。
月の夜。無風。車道を往く車のエンジン音さえ、何故かしら聴こえない静寂のなか、私は財布の中身をコンファームし、少しまどろんだ。
こーゆーパターンの幸せも、確かに存在するのだ。或る夜の出来事。
かつて、私の人生において、これほどまでに集中したことがあっただろうか?

海老蔵。

海老蔵は名前を返上して、烏賊蔵か蛸蔵に1度、下がってから、2年ぐらいしてもう1回襲名披露をして資金を集めればいいんじゃね?イカとかタコも場合によってはエビよりおいしいからね。そーゆー意味ではアントニオ猪木とかジャイアント馬場も襲名しても、おかしくないよね?あれだけのビッグネームなんんだから、もったいないわ。で、外は雨。庭に牡蠣殻と蝙蝠の糞を撒いたので、雨が降って土の中にそれらの成分が染込んでくれると嬉しいんだよ。
話は海老蔵だったな。もう33歳でしょ?一般の社会人なら大卒11年目だから、課長職だな。部下を8人ぐらい持ってな。一番充実してる時だし、酒の飲み方も、ある程度仕上がってなきゃーいけないじゃんねー。酒はシミジミ飲もうよ。ま、この手のクソ坊主は、痛い目に必ず遭うように、世の中うまくできてるんだなーって思った。それ以上でも以下でもないよ。やっぱ、烏賊蔵だな、しっくりくるのは。

2010年12月7日火曜日

小便器は、なぜ大きいのか?


特に、男性用の小便器。なんであんなに大きいサイズが必要なのだろう?1回設置したら最後、そうそう取り替える類の物ではないためか、メーカー側が1個あたりの単価を上げざるを得ず、必然的に巨大な小便器が街のヒアアンドゼアーに鎮座する。大部分の日本人は小さいのに自分の背丈ほどもある小便器に向かって粗チンを出し、用を足す様は、よくよく考えてみれば滑稽ですらある。オフィスビルやシティホテルの大きな小便器に小さな禿げオヤジの図。分不相応ではないのか。小便するのに、ラグジュアリーな雰囲気は要らないだろう。もっと、小さな便器のほーが、掃除の仕事をしている方々の負担がより少ないよーに思うんだけど、どうでしょうか?帯に短し、襷に長しってゆーより、無用の長物って言えないだろうか?
しみじみと、小便器を見ながら考え込んでしまいました。師走。

2010年12月6日月曜日

櫻井よしこ。


先代の林家三平が「よしこさーん」と歌い、巷では「冗談はよしこさん」とザレごとを言ったのも今は昔。この櫻井よしこさんは冗談は言わずに正論を言い続け、ニュース番組のキャスターを降板したり、とにかく軸がブレない。薬害エイズ事件の安部英だっけ?名前は正確に覚えてないけど帝京大医学部教授に身体を張った突撃取材を執拗に敢行したり、最近の中国に対する論調はテレサテンをも凌ぐ内容だ。灘高出身の勝谷誠彦も語るには語るけど、櫻井さんみたく眼光に勢いがないのでパワーが半減しちゃってるものねえ。
とにかく、櫻井さん、今や、命を狙われるぐらいの右翼活動家なので、そろそろ休んでくださいな。私の希望を言えば、銀座で安いクラブのママになって欲しいなあ。酒を飲みながら政治の話をしたいのよ。ボトルも入れます。私のお客様も紹介します。指名の取れない女の子がいたら、一緒に同伴出勤してあげます。「よしこママ、今日も髪型、決まってますねー」とか言っちゃって、結構、ツケを貯めちゃったりしてねー。「月末に全部払いなさいよー」とか言われて、半分だけ銀行振込したりしてねー。
でも、「クラブ櫻井」。銀座7丁目か8丁目にオープンしてくれないかな?中国人の友達、連れて行ってもいいでしょうか?

月と六ペンス。


読書感想文は、後で書くよ。(中断)サマセット・モームはホモなんだけど、文章は巧いな。三島由紀夫と共通してるわ。まだ177ページまでしか読んでないけど、この作品はゴーギャンとゴッホの私生活を抉り出した生々しいストーリーだ。結構、面白いよ。なので、最後まで読んだところで、また書くよ。
で、今日は今週、会社の表彰式で宿泊するANAインターコンチネンタル東京の下見(?)と、渋谷で卓球ラケットを見た後、神保町と四谷の会社役員に対して強烈なクロージングをかけ玉砕し、夕方の、本郷4丁目の尚美学園のトランペットレッスンで致命的な欠点を指摘され、うなだれて松戸まで帰り、休むまもなく江戸川で犬の散歩をこなし、今、やっと腰を落ち着けて飲んでいる。瓶詰めしたのが10日前という岡山県浅口市の嘉美心酒造の「冬の月」とゆー新酒だよゴックン。ごく当たり前に美味しいね。おからも食べちゃった。この「冬の月」は6ペンス以上するから、高級な日本酒ってわけだな。なおかつ写真の、備前焼のエース岩本哲也氏の器でいただくから、格別のひとときを噛み締めることが出来るのよ。嬉しいなあ。

2010年12月5日日曜日

葛飾区立中央図書館。


金町駅南にできたノッポビルの3階に、それはある。ひょっとしたら今現在、日本一の設備を誇る図書館なのかもしれない。開設に際して、平澤勝栄代議士が多少の貢献をしたかもしれないこの図書館へ行くのが、マイブームってとこかな。今日は15冊借りてきた。シェイクスピアの「マクベス」、「リア王」、「ベニスの商人」。モームの「月と6ペンス」(主人公はゴーギャンがモデル)。ヘッセの「車輪の下」。ラディゲの「肉体の悪魔」。ジロドゥの「オンディーヌ」。トルストイの「イワン・イリイチの死」。ツルゲーネフの「初恋」。ヘミングウェイの「武器よさらば」。なかにし礼の「長崎ぶらぶら節」。寺山修司の「幻想図書館」、「新・書を捨てよ、町へ出よう」。三島由紀夫の「行動学入門」、「小説家の休暇」で、15冊。
何だか読みたいなーってぼんやりと選んで、気がついた時には、この15冊をチョイスしてた。
ところで、この15冊、全部文庫本なんだけどー、そうなった理由を今から述べる。ま、名作を読みたかったってのが第一にあって、次に、15冊借りてから金町駅まで歩き松戸の自宅まで帰る行程で本の重いのが厭ってことの他にもっと重要な訳があるのよ。とゆーのは、牛丼と文庫本の値段の変遷とか相関関係を説明する必要があるな。何かとゆーと、ここ30年間で両者の価格差が逆転してしまった事実に着目すべきってこと。実際に、昔は牛丼が350円とか380円のゾーンで推移してたのに、今は280円から320円前後の価格帯に落ち付いている。一方、文庫本は350円前後だったものが、今は500円から700円ぐらいに値上がりしていて、ページ数や版権の問題もあろうけれど正味2倍になっているのが分る。2倍2倍だよ。牛丼のクオリティーはお店の雰囲気や丼の中も確実に上がっているのに、100円ほどプライスダウンしているので得であり、文庫本は名著でもなく、ウンコみたいな内容の駄作でもページ数によっては1000円近くするものも出ているテイタラクだから書店で買っては損をする。なので、今の文庫本はウンコ本とゆーべきものなので、わざわざ財布からお金を出して買うのは止め、図書館で借りるべきものなのだと思っている。私の場合、家で美味しいものが自分でつくれるので、外では時間短縮とコスト削減のために牛丼を食すことが多い。
デフレ経済を愉しむには、各自が創意工夫をしましょうねってことが言いたかったんだけどー、ホントはね、昼間っから、2万円の寿司を食べたいんだ、よー。

岡崎トミ子国家公安委員長。


なんだかなー、語るに落ちるとはこのことだなー。仙谷官房長官は日本国民をナメきってるってことだなあ。
国家公安委員長が北朝鮮と韓国の交戦当日に警察庁に登庁してなかったってゆーのも驚異的だけど、まあ、少子化対策の責任者でもあるんなら、せめて子供のいる人でないと駄目なんじゃーないの?福島県立福島女子高卒でラジオ福島に入り5年で東北放送に鞍替えし、社民党は6年やって民主党に乗り換えて大臣になっちゃった。従軍慰安婦の問題だって、パフォーマンスにしか見えないもんなあ。原稿を読むのはプロだし、言語明瞭なんだけどホント、意味不明な答弁が9割だなぁ。
現在の民主党内閣は昔のレコードでゆーと全部B面ってゆーのがよーく判る。A面にいい曲が入ってるのに、流さない。もったいないよな。裏表さかさまに背広着てサラリーマンが歩いてたら、やっぱ、みんな注意するよね。それ違うよって。ま、いまの内閣ってそーゆー状態だな。世界の有識者で日本に関心のある人たちからの失笑が漏れ聴こえるようだ。
税収が37兆円。予算は90兆円。来年の国債発行額は170兆円。うーん、唸ってしまうなあ。お札の枚数が、さらに増えるだろう。ペーパーマネーに対する不信任から、ハイパーインフレへと向かうのだろうか?アメリカは、そろそろ、シティバンクの問題が出てくるだろうし、イギリスのポンドだって、高すぎて変だ。消去法の円高、有事の円、漁夫の利ってこともあろうけど、何だか年末にかけて、経済恐慌のトリガーが引かれるよーな不吉な予感がしてるのは、私だけじゃーないよね。
それからすると、岡崎トミ子国家公安委員長マターなんて、瑣末なことでしかないな。私が仙台にいた昭和の時代から知ってるけど、老けたよねー。実年齢より老けて見えるわ。

2010年12月4日土曜日

オイスターソースとナンプラー。


今からですね、オイスターソースとナンプラーを買いに行ってくるよ。(中断)えー、えー?前原外務大臣空から北方領土を視察だってー?えー、なになに?何だろうこれは。マスコミ大騒ぎしないといけないよ、全く。こんなの上陸してないんだから視察でも何でもないじゃん。
これ、素股セックスと同じで、実質的には何もやってないのと同じじゃん。確かに、やりましたって言うのかな?おかしいな、この外務大臣。コストいくらかけて行ったの、このレジャー?
自腹で行きなさいよ、ひどいな、コレ。ニュースになってないのに、マスコミ引き連れて撮影させて、関係者も暇な人が多いね。今は、韓国でしょうが、フォローしなきゃいけないのは。その次が中国でしょ?北方領土は鈴木宗男に任せるしかないっしょ?
全く、この男の目立ちたがり指数は完全にオーバーシュートしてるなあ。オイスターソースとナンプラーを頭からかけてやりたいくらいだよ。でも、勿体無いから野菜炒めとかチャーハンに使うよ。

2010年12月3日金曜日

雨上がり。


朝方、凄まじい雨が降った。街中では、あり得ないくらいの集中豪雨であった。ゲリラ豪雨だな。以前、南アルプスの3000m峰の稜線を歩いたときのことを想い出したよ。もう、強烈だった。
で、出勤が大変だった、とゆーのは嘘で、勝手に午後出社にしてしまったので、濡れたのは犬の散歩によってのみだったな。正午になりそうな今、外がいい天気になってきたので、そろそろ熱いシャワーを浴びて、オフィスに向かうとするよ。ふー。ゆったりした、有意義な午前中であった。満足だ。

2010年12月2日木曜日

国立西洋美術館。



今日は夜、尚美学園へ行ってしっかり、トランペットのレッスンを受け、ヘトヘトなんだけどー、夕方は銀座で知人の社長の業務を手伝ったり、昼は上野公園の国立西洋美術館で絵を鑑賞したりして、やっぱ芸術の秋って感じだわ。
で、今日は国立西洋美術館で観た2枚の絵について書くよ。左はカロリュス・デュランの「母と子」で1897年の作品。若くて美しいフェドー夫人に子供たちが、まとわりついている様が描かれていて滅茶苦茶に幸せそうだ。彼女は、このあと、自分で料理を作らなくても、お抱えの料理人がすこぶる美味いものを調理し、メイドさんがややギコチナイ笑顔で一皿一皿運んでくるのを、行儀良く食べるだけでいいのだ。
一方、右側の絵はシャバンヌ作、「貧しい漁夫」。1881年の作品だ。何だか宗教画っぽい。妻に先立たれたのか、愛想をつかされたかの若い漁夫が上半身裸の貧相な姿でうつむいている。子供たちには背を向け、古びた舟の浅い舟底では乳飲み子が横たわっている。今日も釣れなかった。なので収入はゼロだ。蓄えもない。明日も漁に出るが、どうせ釣れないだろう。この先、どうやって生きていけばいいのか? What shall I do? レンスン・メイ・イースー(人生、意味ない)ってイメージ。とにかく暗い。フェドー夫人と、この貧しい漁夫の、この差は一体、何なんだろうか?しかし、しかしだよ。1881年の時点では貧しかった漁夫も、ふとしたキッカケで、モチベーションを高め、具体的な目標を設定し、継続的な努力が功を奏し、自己実現に成功した彼は、16年の歳月を閲して網元から金融業に転じ、ほどなく貴族になり若い妻を娶った。それがこの貴婦人だったとしたら?
やるじゃん。そーゆーことってあるかもしれない。でも、現実には、チョー・レアなケースだろうな。そんなことを考えてみました。チャンチャン。

2010年12月1日水曜日

秋の風情。

我が家です。紅葉してるのがヤマボウシの木で、あと数日もすると葉は全て落ち、冬支度が完了するわけだ。写真右下がライラック、その上がシマトネリコ。
ところで、今年の冬はどんなだろう?毎週、スキー場へ行くなーんて贅沢は、無くなったけどスキー板のニューモデルは欲しいなあ。今は、軽くて強度もあって短く使い回しのいい板がたくさんあるんだろうなあ。なんだか滑りたくなってきた。
旭川の山仲間は元気だろうか?冬になるほど山に行く、セミプロの人たちなので、くれぐれも事故のないようお願いしたい。何年か前、懇意にしていた旭川の山のショップのオーナーが凍った滝を登ってて滑落死したし(大雪山系)、私が以前、所属していた旭川勤労者山岳会でも、会の冬山訓練中に雪崩に巻き込まれ死亡者を出した(十勝岳周辺)。
ことほどさように、山の掟とゆーか、厳しさは半端じゃない。
現実に戻って、秋の風情を自宅で感じながら、安酒でも飲んでいるのがいいのかもしれないな。てなふうに思える今日この頃ですわぁ。

2010年11月30日火曜日

鶯谷。


焼肉の「鶯谷園」は最高だった。息子と行った時には焼かずに生でペロリと食った。刺身だな。肉ではなくて魚を食う感覚。だから焼肉とは言わないなんだか宇宙食のよーな食べ物であった。
ところで、最近、契約の関係で日比谷線入谷駅周辺の材木屋さんに足げく通っているんだけど、日比谷から入谷までが160円ではなくて190円かかるのがシャクで、つい、定期券で行けるJR鶯谷駅で下車し、歩いて入谷方面まで行ってしまうのだ。その行程で、鶯谷周辺でうろついているオネエチャン、オバチャン、オバアチャンたちを見るにつけ、ネットビジネスならぬネットリビジネスの裾野の広さを痛感せざるにはいられないのだ。いろんな人種がラブホに出入りしてるもんなー。従業員なのか、プロの女性なのか、従業員兼プロの女性なのか、一般人なのか。さっぱりわかんないわ。日本人なのか、外国人なのか、男なのか女なのか。もう、どうでもいいや。好きにしろよって感じ。
そういった意味では性の低廉化とゆーか、コンビニ化が今は浸透してしまって、嫌がる女性に真正面からお願いし、了承を得、納得も得心もさせて頂戴するチャレンジやストラグルの機会が減ってきてるんだろーなって思う。やっぱ、安きに流れてはいけないよね。鶯谷を歩いていて、そんなことを考えてた。以上。

2010年11月29日月曜日

バットグアノ。

凄いよ凄い。蝙蝠の糞。燐酸ですよ燐酸。フィリピン産だか、インドネシア産だか知らないけれど、効能ってゆーか、花付きを見る前からもう舞い上がってるよ。蝙蝠は昆虫をムシャムシャと食べるため消化能力の高い内臓を持っているらしく、自分の洞窟に戻って糞をし、それが長い年月を経てプチ化石化したものがバットグアノとゆー商品として流通している。最近のワイン農家の一部では堆肥とこのバットグアノだけで糖度の高い葡萄を育成しているようだ。とゆーことは長野県とか山梨県のワインは蝙蝠の糞の協力を得て、生産されているってわけか。美味しいよーな汚いよーな、天使のよーな悪魔の笑顔ってわけだな。
ま、我が家の庭の土が、蝙蝠の糞と牡蠣殻で豊饒の大地となる日を楽しみにしてるのよ。

2010年11月28日日曜日

桜田門外ノ変。

映画の話ね。結論から言えば相当いい映画だったよ。今から150年ほど前の実話なので時代考証的にも、しっかりとした内容だったし、キャスティングにも無理がなかった。
今でゆーと、警視庁前で仙谷官房長官が狙撃され絶命したぐらいのインパクトだろうなあ。それにしても、忠臣蔵にしても桜田門外の変にしても首謀者・実行犯全員が首を刎ねられるわけだから、割に合わないよーな気もするけど、暴君に天誅をくらわせることの歴史的意義は充分にあったと思うので、或る意味、喝采が浴びせられてもいいようなもんだけど、映画ってゆーか、映像のリアリティーが生々しかったために悲しい気分になって帰ってきたよ。
妾の子であった井伊直弼が不遇の時代を経て、彦根藩主の座についた後、さらに出世街道を驀進してしまい、ブレーキが効かなくなった状況で、安政の大獄とゆー粛清を断行したことで、小伝馬町で吉田松陰までもが死罪になってしまったばかりか、天皇の許可なく日米通商修好条約に調印してしまい、それに激昂した水戸藩主がノーアポで江戸城にクレームつけに行ったことを逆手にとって強引に引導を渡してしまったりして、やりたい放題をやったわけだ。ま、偏屈な人間が権力を握るとロクなことにならないってことだな。
役者的には、大沢たかお、中村ゆり、北大路欣也が良かったなあ。満足でした。

2010年11月27日土曜日

天空劇場。

なんだかノリノリになってきたー!来年の2月11日の建国記念日に、北千住の天空劇場でうちの先生の弟子たちが集まって発表会をするんだけどー、400名キャパのステージでプロのピアニストに伴奏させて、ビシーっとトランペットを吹くことになる。ぉーし、おれがいかに本番に強いか、音色に品があるか、を実証する時が来たのだ。最初、参加費用が2万円って言われて、なになに2千円の間違いじゃないのーって二の足を踏んだものの、出る出るとメールに返信してしまい、後悔しそうだったけれども、ホールの写真を見て何故だか納得。今では、早くその日が来ないものかとナニを長くして待っている。
曲は「I remember Clifford」。これで決まり。不世出のトランペッター、クリフォード・ブラウンが25歳で自動車事故死した後、彼を偲んでテナーサックスのベニー・ゴルソンが作曲をし、その後、私の大好きなリー・モーガンによって演奏され、名曲としての地位は確固たるものとなったそれである。当日、北千住のビルの21階で、私の名器、カリキオ・チャック・フィンドレーモデルからどんな音が出るんだろーか?この大きな愉しみのためには、当然ながら、地道な練習が必要になってくる。
毎日、少しずつ、こなしていこうと思う。2月に入ったら、仕事なんかどーでもよくなっちゃうくらいに、入れ込んでしまってたりしてねー。

2010年11月26日金曜日

欣喜雀躍。


オフィスの同僚と酒を飲んだ。最初は欣喜雀躍。日本酒をガンガン飲んだ。とゆーのは自腹じゃなかったからね。タダ酒ほどうまいものは無い。人数は5人だったんだけどー、1人の50代後半の男性がグチりだして、なんだか空気がポジからネガに。駄目だな暗い酒は。私はとゆーと、ひたすらマイペースで冷酒を10杯以上飲んだのかしら。丸の内から松戸に戻った頃には完全に千鳥足だった。雀じゃなくて、千鳥に進化したわけだ。
家に辿り着き、玄関開けたら、愛犬ドンキーが突進してきたので、仕方なく江戸川土手の散歩に付き合った。ラブラドールレトリバーは時として重戦車のよーなパワーで飼い主を引っ張る。この日は正直、彼をコントロールできなかったよ。8歳の老犬なのに、元気過ぎて困ります。結局、家でじとーっと待っていて、夜になって連れ出してもらって喜んだ彼が、欣喜雀躍ってこと?

2010年11月25日木曜日

固定資産税。

11月30日が第3期分の納付締め切りなので、イヤイヤ松戸市役所に行ってお金を払ってきた。もったいないな。こんなことにお金を使うんなら、庭木にやる肥料を買いたいよ。
牡蠣殻とか、蝙蝠の糞とか、米糠とか、油糟。草木灰とか菌根菌とか。私の払った固定資産税のうち、10円ぐらいは訳の分らない市会議員の年俸になるのかと思うと、とてもじゃないけど気持ち良く払えないって。
それと、市役所に行っていつも思うのだけど、職員の数が多すぎるよ。どうでもいいような仕事を大人数でスローモーションでやっている感じ。大幅なリストラを敢行しないといけないよな。それと、身体に障害を持った方々をもっと沢山採用すべきだと思う。健常者は民間で働きなさいよ。
公務員の仕事ぶりを見るにつけ、腹が立ってくるのは私一人ではないはずだ。血税を払って、こんな連中の身分を保障してやってること自体が馬鹿馬鹿しいと思う。公務員は道の端っこを歩くべきだな。

2010年11月24日水曜日

秋の皇居外苑。


明日の月額報酬が予想よりも、若干、多い額だったので、皇居外苑の楠木正成像に御礼に行った。何故だかわかんないけど。晴天で、写真のよーな、紅葉でなんだか嬉しくなってくる。
はとバスのガイドに誘導された中国人観光客が、うじゃうじゃと傍らにいる。ナーとかターとかメイヨーとか大声で喋ってるのですぐにわかる。彼らの月額報酬もしくは月給はいくらだろうか?日本に観光に来るぐらいだから、私より多いのかもしれないなあ。残念だ。彼らに負けないように、もっと契約をとって、キャッシュリッチになろう。大丈夫大丈夫。すぐに追い越せる。中国人並みに働けば、簡単に金は稼げる。物事はシンプルに考えればすぐに解決する。スキルか活動量の片方か両方を上げるだけで、月額報酬は上がる。
皇居外苑で、そんなことを考え、丸の内カフェとゆーフリースペースでブログってみました。さあて、見込客づくりに出掛けましょうか。

2010年11月23日火曜日

仙谷官房長官。


有事から7時間も経っているのに官房長官が何のコメントも宣言もしていない。これって、何なの?アメリカも中国も報道官が、やんわりとではあるけれど喋ってるよ。これは治外法権うんぬんとは関係なく、日本の国益にも関わってくる大問題なのに、一刻も早く、自分達の立ち位置を表明しないといけないじゃんねー。
馬鹿じゃないのか?前原君もスタンドプレーをやるなら、今がチャンス。自衛隊を派遣するくらいのことを言ってみろよ。補給でも後方支援でもいいから、韓国を支えるべきだよ。両国の絆を強くする千載一遇のチャンスなのに、見て見ぬ振りをするだけかぁ?フリオ・イグレシアスだな、実際。
この流れを全くの個人的見解で示すと、もし北朝鮮が日本を砲撃してきても、アメリカは今回と同じく、高みの見物をしてるだけだろう。今は、助ける意思も予算もないんだと思う。かつてのアメリカならば、真っ先に参戦し、鎮圧どころか北朝鮮に陸軍を上陸させるだろう。そして、自国の都合のよい青写真を作成して、国内軍需産業の在庫一掃のために、いろんなことをやるんだと思うよ。
今の内閣では無政府状態と同じテイタラクなのに、なーんとなく幸せ。平和ボケの日本。変なの。

補正予算やめようよ。


小出しにするから効果が出ない。出ないもんならやらなきゃいーじゃん。やっぱ、補正だけじゃなく、予算それ自体を大幅にカットして、小さな政府でなんとかしようよ。今の日本にはもっと、フラットな組織が必要だよ。証券会社で言うと、支店長の下に次長がいて、その下に複数の課長がいて、スタッフの中には課長代理とか主任がいて残りは若手、事務方には総務課長と主任がいて、その下にスタッフってゆー風にするから、伝言ゲームみたいなもんで意思の疎通が巧くいかないしー、まずもってスピード感がないのよ。名前は何でもいいので、1番上に1人の管理職がいて彼が全員を仕切り、残り全員はスタッフ。事務作業は各自でやる。こーゆーシステムに官僚とか市役所、その他大勢の公務員を落とし込むことに成功できれば、予算なんてメチャクチャ少なくて済むよ。結果として、全員が何でも自分でやらざるを得なくなるので個人消費が伸び、税収も増え、社会に活力が生まれるよ。本当に死にそうな人だけを、お上は救ってあげればいいんじゃないのかなぁ。福祉福祉って、落合監督の子供じゃあるまいし、選挙向けに連呼する偽善は止めて、もっと実効性のある議論をしなくちゃいけないよな。福祉は今で充分。葬式代まで国が出してるんだから。
結論。公務員を半分に!定年は50歳!
余ったお金で、国防をしっかりとやるべきだ。国を守るってのは本来そーゆーことだと思うよ。なんか、大川隆法の政見放送みたくなってきたぞ。変?

勤労感謝の日。


日頃の勤労に感謝する日。感謝するのは自分の健康に、なのか。雇用主に、なのか、お客様に、なのか、スタッフに、なのか、自身の商才やツキに対してなのか何だかわからないけど、まー、ゆっくり休むことにした。昼まで寝ていたので極端にリラックスしていて、今は昨夜の残りの缶チューハイを飲みながら(おれって貧乏?)、物思いに耽っている。
勤労と一口に言っても、中身は様々で、勤労意欲も無く勤労らしきことを全くしなくてもキャッシュリッチな人は、そこらじゅうにいるしー、結構真面目にストイックと表現してもいいくらい根をつめて仕事に取り組んでいながら、万年貧困に喘いでいる人もいる。籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋を作る人。人生いろいろ、仕事もいろいろ(出典、小泉純一郎)だと思う。
左の写真は「ネコンブ」といって、きっこのブログで有名なきっこさんが編み出したキャラクターで、商標登録なんてされてなさそうだし著作権法にも抵触しなさそうなので載っけてみたんだけどー、こーゆー心理状態で仕事を続けていければ、幸せになれるんじゃーないかな?赤塚不二夫の「ウナギイヌ」にも負けない「ネコンブ」。もー少しメジャーになってもいいと思うけど…。
勤労感謝の日、じっくり考えたことって、この程度かしら。ちょっとショボいかなぁ?さあて、トランペットの練習でもしましょうか。でゎでゎ。

2010年11月22日月曜日

ドンキー、発情。


2階にある息子の部屋のベッドが軋んでいる。てゆーか、音を立てて揺れている。ハアハアとゆー、声。人間のよーな犬の息遣い。ドンキーだ。ベッドの上で布団と毛布を器用に丸めて、その上に乗っかって模擬交尾をしているのだ。結構、長い。タフな奴だ。飽きもせず。
お手軽なレジャーでもあるな。酒も飲まない、博打もしない。ま、息抜きも必要だなー。でも、深夜だから、ちょっと騒々しい。

2010年11月21日日曜日

松戸市会議員選挙2010。今日は投票日。


今日、投票所に行って、「末松ひろと」と書いて出てきた。
44人の定数に対して、68人立候補したのかな?当選する44人は、市長の本郷谷けんじ君同様、年収に見合う仕事は出来ずに4年間、飯を食うんだろう。全員に期待してないので、なんだかつまんないイベントだったな、市会議員選挙ってゆーのは。
私が市会議員だったら、てゆーか市長だったらって仮定の話だけど、ちょっと書いてみてもいいかな?
何がしたいか?まず、工業団地の開いたスペースの誘致に応じてくれた企業に徹底的にサービスする。税制、補助金、地元銀行からの融資、社債の起債・引受など、できる限りの協力をする。市役所職員を半分にし、定年は50歳とする。松戸駅を30階建ての高層ビルにし、1階から3階までが駅、4階と5階が市役所(狭いスペースで効率の良い仕事をしてくれ!)、6階から10階まではオフィス、11階から30階までは住宅にして23区内から移住してきてもらうよ。
市役所の施設はそのままにして、そこに松戸市立外国語大学を新設する。学費は前期15万円、後期15万円。学科は北京語学科、上海語学科、福建語学科、広東語学科、韓国語学科、ロシア語学科、台湾語学科、ベンガル語学科、ヒンディー語学科、モンゴル語学科、タイ語学科、ベトナム語学科、フィリピン語学科、インドネシア語学科、ミヤンマー語学科、モンゴル語学科。1学年2500人の定員で、4学年で10000人。大学院は全国から学生・社会人を募って、15000人規模にすればいい。入りきれない学生の分はプレハブ教室でカバーする。詰め込めばいいよ。留学生の比率を80パーセントにして、移民誘致のトリガーにしたいねえ。で、就職の斡旋は一切しない。自力でやってもらう。
あと、千葉県警で大量採用してもらって、警察の数を1.5倍にする。質が落ちても構わない。江戸川河川敷に植樹をする。森をつくる。駅前の花壇は全部埋めてそのスペースで毎日、客がいようがいまいが、イベントを行う。それから、市川市や流山市との合併は行わず、単独で政令指定都市を目指す。
老人福祉、医療費などの負のサービスは、全国に先駆けて実費負担の割合を大きくする。若者の街、松戸を全国にアッピールすることで、逆に高齢者を呼び込めると私は考えている。松戸市がドラスティックな改革を行うことで、全国が松戸市を見習う。そーゆーのがいいんだけど。