2009年9月16日水曜日

スリランカ初期仏教長老。


1年ぐらい前に都営新宿線の森下駅近くの居酒屋で、スリランカ人のディヌーシとゆー27歳の女の子と喋った。色の黒いいい子だなーとゆー印象があって、スリランカがすっかりスキになってしまったんだけど、彼女が言っていた「スリランカで仏教が生まれた」の意味が、当時はよく理解できなかった。
今回、ふとしたきっかけで手にしたアルボムッレ・スマナサーラ長老の著書「無常の見方」を読んで、そのことが実に、よーくわかった。この本は相当いいよ。
「無常」ってゆーのは、いつもあるってことが無い状態で、物事ってゆーか、森羅万象はことごとく変化していて同じところにとどまっていることって、無いんだって。だから、物事に執着するのはやめなさい、捨てることを学びなさいという。あるとゆーことに拘泥するから、なくすことが厭で、不安な心持ちになってしまうのだ、とも。そして、今の瞬間だけが現実で、今の瞬間は次の瞬間の原因になる。だから、将来という幻想や、来世という妄想のなかで空回りするのはやめて、心は今の瞬間という現実に集中すべきで、当然、今の瞬間がよければ、次の瞬間も良い。つまり、原因からは、原因に見合った結果しか出てこないってことだな。犬が猫を生む訳ないもんなー。なるほど。
要は、今、やるべきことをやって、期待は大してするな、中くらいを極めろってことだな。
はいはい。でも、これって、一番難しいことじゃん!

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