2009年3月25日水曜日

禅の心。

ここ5年間ほど続けていることがあって、たぶんこの先もずーっとやめないだろうという習い事に近い習慣がある。月に1回、葛飾柴又にある萬福寺の座禅会への出席がそれである。港区の泉岳寺、青松寺、長谷寺、文京区の吉祥寺、新宿区の東長寺などの座禅会にも十数回参加はしたものの何故だか続かなかった。つまるところ、萬福寺が好きなのかなと思う。
原則的に第二土曜日の夕方5時30分から2階の本堂で坐り始め、曹洞宗の経典の中にある普勧坐禅儀を唱え、1階に下りて皆でうどんを食べ、住職の講義を聴く。垣内住職は人格者で、心が洗われる思いと感謝の念で一杯になる。
ところで、椎名林檎が「坐禅エクスタシー」とゆーCDを出したのが偶然とは思えないほど、若いOLの間で坐禅が静かな人気を博している。ここ萬福寺には残念ながら若い女性が定着しないのだけれど、港区の大きな名刹でやっている坐禅会には例外なく、若くて魅力的な女性が来て、熱心に坐っている。3年ほど前のこと…。坐禅の最中は目を開き、壁に向かって動かず、何も考えてはいけないことになってはいるのだが、当時の私には反省材料が多々あった。①隣のおねえさんの横顔をチラ見してしまう。②鼻で大きく息を吸込み、匂いをかいでしまう。③エッチな想像(かなり具体的なストーリーが展開する)をしてしまう。これでは修行になってないのだが、私は僧侶でないから、いーのと肯定的に考えていた。場合によっては坐禅会の終了後、メールアドレスを教えてもらったり、お茶に誘ったりもしてたっけー。そーゆー段階を経ながらも、坐禅は人を成長させる。心穏やかに、煩悩に迷わされることのない真っ当な私が出来上がりつつある今日このごろです。坐禅はまず、形から。ちょっとそこのキツネ君、その坐り方は間違ってるよ!

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