2011年10月20日木曜日

ミル・マスカラスとフリオ・イグレシアス。

身内トークのときに使う、自分オリジナルの言いまわしってあるよね?例えば、その手は桑名の焼きハマグリとゆーところを、私の場合はその手は桑名の正博だと言ってしまうし、頑張ってる振りをしてる奴に対し、あいつはフリオ・イグレシアスだと揶揄したりする。
最近、安くて良いマスカラが市販されているせいか、昔の芸能人みたいな付け睫毛の女が量産されているのに気付く人は少なくないだろう。街の至るところやオフィスで彼女らは散見され、その人の実力以上のルックスを周辺に撒き散らしている。メーカーも「天まで届けマスカラ」なーんてネーミングの商品を供給したりして、その伝播を煽っているようでもある。
なので最近、私は彼女らをやや嘲笑気味に「ミル・マスカラス」と呼ぶようにしている。
ミル・マスカラスはメキシコのプロレスラーで今は引退してるんじゃないかって思うけど、彼は現役時代、千の顔を持つ男と称され毎試合ごとに異なるマスクをして登場し、ファンを喜ばせていた。実力は超一流ではなかったが、営業努力とゆーか、そのサービス精神は群を抜いていた。
ところで、元祖マスカラスは魅せるバリエーションが豊富にあったのだが、巷のマスカラスはどうだろうか?
何だか画一化されたルックスに収斂する傾向が顕著のようで、どの子も同じに見えてしまう。そのパターン化を見るにつれ金太郎飴を連想してしまうのは私だけだろうか?どこを切っても同じ顔が出てくるのだ。流行とかファッションは多様化・個性化・専門化していい筈なのに、ある意味、均一化していっているよーに思える。安きに流れないで、もうちょっと頭を使って欲しい。
マスカラスだらけの平成の日本女性に対し、警鐘を鳴らしておきたい。

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