2009年7月11日土曜日

レインボーマン。


子供の頃、ウルトラマンとか仮面ライダー、ミラーマンとかスペクトルマンとかマグマ大使とかいろいろあったんだけど、レインボーマンてゆー正義の味方もいたのよ。悪の組織、「死ね死ね団」と闘うレインボーマンには仏教の教えがあり、ダイバダッタとゆー師匠についてインドの山奥で修行して強くなったとゆー設定だったよーに思う。
ところで、日本が世界の一流だと思っていた1960年生まれの私が思うに、それは事実ではなく、ここ50年ぐらいの期間限定セールみたいな錯覚で、実際には、いろんなことをインドと中国から教えてもらって今に至るんだなーってゆーことを痛感している。
最近は仏教関連の本ばかり読んでいるのでよーくわかるのだけど、日本の仏教は大きな樹の幹の枝葉の部分でしかないんだなーってゆーことに気付いたよ。スリランカ仏教の大御所、アルボムッレ・スマナサーラとか、チペット仏教の象徴、ダライラマ14世の発言なんかをトレースしてみると、あーやっぱり、向こうが本家なんだーって認めざるを得ないもんなー。
レインボーマンから、変な話になっちゃたけど、宗教観とか、自分の立ち位置とかそんなものが今の日本人にあれば、もっと主体的な国民に戻れるよーに思うけど、どうでしょうか?明治以降、西洋人になりきろうとして、なれなかったという事実と、寿命が45歳から90歳になったことに対する準備期間が足りなかったことへの責めが、今、平成の時代に重くのしかかってきてるんじゃないのかなー。地デジ対策より、もっと大切な心のケアの部分を政策的に具体化していく時期にきているんじゃないかって、思う。
ショパンのバラードを聴きながら、そんなことを考えてみました。

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