2009年7月20日月曜日

イスラム教に関する一考察。

テーマがデカ過ぎるのでタイトルは一考察にしてみたよ。
私は預言者ではないけど、50年もしたら、日本の寂れた寺院のうち、後継者がいなかったり、檀家が弱かったりするところはイスラム教寺院に取って代わられると思っている。
イスラム教の信仰は厳しく、明確な教えを強いており、お祈りも1日5回、ジュンマバールと呼ばれる金曜日の午後1時から4時までのお祈りは特に重要な時間だという。酒は飲んではいけないし、不倫・姦通は死刑、豚肉を食べることは禁じられている。総合的な角度から検討してもしなくても、私がイスラム教徒なら毎週死刑になっている。
ところで、イスラム教徒は殉死したら必ず、川の流れる楽園に行けるらしく、そーゆー観点から自爆テロが横行し、殉死者は英雄扱いかつ経済的な保障もされるのだという。具体的には家を一軒もらえるとか、日本車を寄贈されるとかがそれにあたる。
為政者は自国の民やファミリー、そして保身のために用いる常套手段として、外側に敵をつくり、内部を統制する。戦争はイスラム教にとっては聖戦なので、正当化されるかされないかという問題提起すら存在せず、生きるためのツールとゆーか、日常のルーチンに近い感覚があるという。4人までOKという一夫多妻制にしても、いやらしい制度ではなく、戦災未亡人保護の観点からスタートしていると聞いた。厳しい自然に晒され、オアシスで安穏と暮らしていても、いつ他の部族が略奪しに来ないとも限らないので、闘うしか手はない。日本のよーな和を以って尊しとなすポリシーが受け入れられる土壌では、そもそも、ないのだ。
厳しい戒律を通じて、常に自己を見つめている民が世界に15億人もいるとは驚きであるが、この数はインターネットの発達によって、日に日に増加の一途を辿っている。彼らの主張やイデオロギーが瞬時にして地球上を駆け巡る21世紀。
イスラムが解らないと、地球規模ではもはや生きていけないことは自明の理である。

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