2009年7月17日金曜日

アルボムッレ・スマナサーラ。


スリランカ初期仏教長老について語ってみようと思う。長老とはいっても私より15歳年長なだけであるし、顔が、私のバングラディシュ人の知人、嘘つきラハマンに似ていることがなんとなくマイナスイメージなんだけど、2008年9月8日に出版されたその著書「悩まない力」を読み込むにつれ、ちょっとファンになりそーな気がしてきたよ。35歳のときに、スリランカの国費留学生として来日、駒澤大学の大学院で道元について学んでいるので日本語に極めて堪能。だから日本での著作が多く、資金は潤沢に持っている。その結果、いつも笑ってるのかもしれないなー。
北インドで釈迦が35歳のときに明けの明星を見た後に悟ったのが仏教のスタートで、北回りで大乗仏教、南回りで小乗仏教が伝播していき、日本には北回りの大乗仏教が入ってきたわけだけど、大乗ってゆーのは大きな船に沢山の人に乗ってもらって徐々に教えていく優しい仏教で、小乗ってのは小船に乗せるためにはそれなりの人選をして少数精鋭の学びを厳しく実戦させていくやり方なんだな。
スリランカ人のディヌーシ(28歳女性)は元気かなあ?失礼、それは関係ないな。釈迦の死後、100年から200年ぐらいのスリランカでの仏教はセイロン島ってゆーぐらいだから正論を追求した結果、非常に厳しい教えが定着したし、島国特有の独自の醸成のされかたをしたんだと思う。なので、スリランカ人の一部は仏教の発祥の地はインドではなくスリランカだと断言するケースもあるよ。
アルボムッレ・スマナサーラ長老も13歳から仏教をやっているプロフェッショナルなので、その説法にはブレが無く、この案件にはこの答え、あの案件にはあの答えとゆーふーに、即物的かつ明確すぎてなんだかステレオタイプの教えにも聴こえるけど、却ってそれがまた新鮮でもあるなぁ。禅の世界では殆どが、わからないということが模範解答になってることが多いもん。
覚悟さえあれば、厭なことは痛くも痒くもない。あなたの個性にお金は払われないが、能力にはお金は支払われる。結果を出さなければ仕事とは言えない。子供のせいで損をすることは一つも無い。人生の途中に、ちょっと一休みはない。こんなよーな内容が短い言葉で書かれてあるよ。
北回りで解りやすいのはチペットのダライ・ラマ14世の教えだな。これは癒しとゆーか思いやりに溢れたヒーリングだな。疲れてる時には北。活力に満ちている時には南。こんな感じで使い分ければオッケーかもしれないねー。

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