2009年10月27日火曜日

松戸女子大生殺人事件。

13年前に葛飾柴又で上智大学の4年生の女子学生が自宅で殺害された。犯人はまだ捕まっていない。事件が風化せずにいるのは、被害者の愛らしい表情が与えるインパクトの強さと、加害者が愛憎とは別の全くの出合いがしらのよーな状況のなかで、破滅的かつ衝動的に起こしてしまった事件の悲劇性にあるのではないかと思う。そこには変態性欲的なサムシングは存在したかもしれないけど、少なくとも怨恨は無かった筈だ。
死者に鞭打つようで申し訳ないような気もするけど、今回の事件はちょっと勝手が違うような感触を、個人的にはもっている。私の地元にほど近い、兵庫県の加古川市にある農業高校を優秀な成績で卒業し、推薦入学で国立の千葉大園芸学部に入学した被害者のことを私は知らない。しかし、そういった普通科以外の高校に進学して、多数の男子生徒に混じって、女子であることの希少価値とゆーアドバンテージを得て、学校中の人気者であったよーな彼女らの感覚であるとかビヘイビアであるとか過信であるとかは、なんとなく理解できる。ちょっと可愛らしい女の子が例えば兵庫県立の工業高校のデザイン科に進学したとする(これは実話になっちゃうな)。男子生徒の中で圧倒的な注目を浴びることは間違いないしー、そーいった優位性を利用してしたたかに振舞う術と、そこから派生する快感に耽溺し、イケイケの発想でその後の人生を渡っていく傾向があるように思う。片田舎の農業高校から国立大学に進学し、ルックス的にも洗練されてきて、ましてや夜の商売に片足を突っ込んでいたとするならば(実際はどうなのか分らないけれど)、やっぱ、降りかかる火の粉が無いわけは無い。その辺の覚悟って、21歳の若い女の子にあるわけも、また無い。今の日本はマスコミが話を喧伝し過ぎるきらいも確かにあるけど、社会全体が病んでいることは紛れもない事実で、やり手の34歳の結婚詐欺殺人女が登場したところで、誰も驚かないもん。
1番悪い放火殺人犯が、1日も早く逮捕され、極刑になるのは当然として、思うに、安易に水商売などに入る若い女の子達への警鐘を鳴らす意味でも、もっと派手に事件とその背後関係、原因と結果の法則をサウンドしておく必要があるように思う。うまい話にはリスクが付き物。世の中そんなに甘くないってゆーことを、若い女の子達は再認識すべき時期に来ていると考える。

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