2012年9月18日火曜日

ヴァンクーヴァーのチャイナタウン。

昔、馳星周の「ダーク・ムーン」とゆー小説を読んだことがある。確か、ヴァンクーヴァーのチャイナタウンを舞台にしたそれだったと思うが、ここの魔都としての存在感は以前にも増して鈍い光を放ち、ドス黒く輝いているようだった。
私が現地を訪れたのは9月の中旬、午後3時から5時までの2時間。想像していたよりも中国人の数は少なく、実際には空店舗が目立っていた。各国から集まった移民たちと、地元のギャングたちが醸す治安の悪さから、大多数の中国人たちが逃げ出したとゆーのが本当のようだ。スカイトレインとゆー地下鉄(ダウンタウン以外では地上を走行する)で7つ先のメトロタウンと銘打った郊外の街が、今では新しい中華街にとって代わっている。
旧中華街。白、黒、黄色。そこは人種の坩堝であった。アラブ系、インド系、ラテン系、ギリシャ系、フランス系、日系、アフリカ人等々、社会の底辺とおぼしき連中がタムロっていた。意味も無くゴミ箱に蹴りを入れ続ける者、つい今しがた仕事をしてきた感の湯気の立った娼婦、足を引き摺り杖をついて歩く者、腐臭を放ち皮膚が爛れた男、ラリった中年女性、顔に縦長の傷跡のある老人。暗い目をした幼児。カン高い声で笑い続ける野鳥のよーな人間、物憂げな少女の妊婦、私に「ボーイ、カムヒア」と言ながら近づいて来る巨漢の黒人…。
ヴァンクーヴァーの光と影…。もちろん、影の部分を受け持つのはこの街だろう。私がこのチャイナタウンで缶ビールを買った酒屋の女主人に、ここの治安を訊いてみた。
「Pretty safe」との返事。開いた口が塞がらなかった。
乞食を許す鷹揚さの全く無い生粋のダウンタウン。無抵抗で横たわっているだけの彼らは、嬲り殺しに遭うのが関の山だろう。乞食はロブソン通りやギャスタウンの明るい場所とか、無料で乗車できる地下鉄を利用して辿り着いた郊外の街でのみ、その生存を許される。
夜から未明にかけてのこの街に、私は入る勇気がなかった。てゆーか、その必要もなかった。
私は、ひたすら明るくポジティブに生きていきたいと思う。奈落の底、嘆きの谷、絶望の海はノーサンキューだ。人はそれぞれの立ち位置で1日を過ごす。
それでいいのだと思う。

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