侘びさびの分る年代になってきた。今回の岡山行きの間に、京都・大阪・神戸をトッピングしてみたのだが、京都では銀閣寺の庭をフォーカスしてみた。生垣が高くて、恰も立山連峰の春の雪の壁をイメージしてしまうくらいの見事さだ。作業中の若い庭師さんに質問。
「この下の段の生垣は何?」と私。
「下は榊ですねん。上はここらへんは椿ですけど、12種類ほど混ぜて植えとるんですわ」と彼。
「ほほう。竹垣も2年に1回ぐらいで取り替えるの?」と私。
「そこまでは、せんですけど、お金はかけてくれはりますわ」と彼。終始笑顔であった。
来世は京都で植木職人をやろうと思うくらいに、この仕事は魅力的だ。天才バカボンのパパがバカ田大学を卒業して植木職人になった理由が明確に判るのだ。人に喜びを与え、人に迷惑をかけず、達成感と自己満足を同時に実現できる仕事。
銀閣寺それ自体は、私の家と大して変わらないぐらいの大きさだけれど、山紫水明に秀で、類稀な精神世界を示現しているこの庭に強烈なバリューがあるのだと思う。庭に力がある。紅葉には早過ぎた感は否めないものの、京都では毎回、何がしかの発見があるから不思議だ。自然を人為的に捻じ曲げた「つくりもの」の庭も、人の志の高さを有効利用することで、画期的な変化をもたらし、文化にまで昇華させてしまうところに感嘆し敬意を表する。
風流を愛でる機会を与えてくれて、ありがとうと言いたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿