2010年8月8日日曜日

徳川家康の184通。


スポーツライターの山際淳司さんが生前に書いた「江夏の21球」は素晴らしい作品だが、1600年8月、江戸城に21日間、篭って家康が口述筆記させた184通の書簡は、もっとハイレベルな作品のよーな気がする。
9月中旬に控えた関ヶ原の合戦を見越して、彼は敵味方ところかまわず、108人に184通の書状を送った。今とは郵便事情が違うので、書いてから相手に届くまで、3週間ぐらいかかった書状もあったのではないかなぁ? 夏の暑いときの営業はDM作戦が奏功するってことだな。
で、108人の内、何人が家康の味方に付いたかとゆーと、驚くべきことに99人(!)ってゆー歴史的事実があるらしい。単なる口約束に近い餌で、人心を釣り上げちゃったのだ。これって、凄いよねー。因みに、戦後、その約束が反古にされたケースも多々あるらしいから、大した狸だわ、全く。
戦いの当日、相手方の石田三成軍8万4千人に対し、徳川軍は7万4千人の兵。当日、石田軍から徳川軍に寝返った小早川秀秋の兵が1万5千人。石田軍に属していながら、弁当ばっかり食べていて挙兵しなかった毛利輝元の兵。これも不作為による作為ってことで、立派な行賞だよね。要は、家康のDM作戦が成功したってことだ。
てなわけで、この天下分け目の一戦は、用意周到で臨んだ家康側の大勝利となった。要した時間は朝8時から昼の3時ぐらいまでの7時間ぐらいじゃーないのかなあ? 1日で終わり。
でね、これに倣って、私は江戸城を見下ろす東京商工会議所ビル7階にある丸の内オフィスから、文京区の電気工事会社の社長の奥さんに書状をしたためた。内容は秘密だけど、もちろん効果テキメン。今回、やや大口のご契約と相成った。ハッピーハッピー。
家康の184通、私の1通。頭を使うことの大切さを、彼から学べて良かったと思っている。ありがとねぃ。

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