2010年8月13日金曜日
靖国神社。
自分では公式参拝だと思っていて、現職閣僚が行かないのなら、尚のこと、足を運ぶ必要があると思い、本日二礼二拍一礼をしてきた。13日の金曜日。クリスチャンでない私は、この日を選んで、九段の杜の靖国神社に参拝してきた。
幕末以降、明治維新、戊辰の役、西南の役、日清戦争、満州事変、支那事変、大東亜戦争(第二次世界大戦)などの有事において、一命を捧げることを余儀なくされた246万6000柱の神霊が、身分や勲功、男女の別なく、斉しく祀られている。坂本龍馬、吉田松陰、高杉晋作ら幕末の志士達はもとより、従軍看護婦、女学生、軍需工場で亡くなられた学徒などの軍属の方々、日本国民としての地位で亡くなられた台湾や韓国、北朝鮮出身者、シベリア抑留中に殉死された人々、各種戦犯達も、一律平等に英霊として奉られている。加えて、100万頭にも及ぶといわれる軍馬、軍用犬たちも、手厚く供養され、それぞれ慰霊像が安置されている。
この神社のどこが、いけないのだろうか?
蝉が最後の雄叫びをあげ、太陽が燦々と輝く午後、粛々とした気持ちで大鳥居を潜って、前を向いて歩いた。1945年、夏。遥か昔のことのようでもあり、つい最近のような気もする65年前の終戦。当時、私はこの世に生を受けていない。私が生まれたのはその15年後の8月なのだから…。
歴史を風化させることは簡単だろう。しかし、そうであってはならない。何故ならば、有史以来、原子爆弾を2度使われた民族は他にいないからだ。不思議なことに、この認識が、我々日本人に殆んどないのだ。
これは、GHQに言論統制されて以来、日本の戦後教育が脈々と受け継いできたというよりは寧ろ、この問題に触れることを拒否した結果の果実であろう。現在も、我が国が面と向かってアメリカを批判することを憚るのはそのせいなのだ。
まとめ。我々が2度と同じような悲劇を起こさないためには、事実を事実として、継続的に伝播し続けていく他はないと考える。
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