夜の9時を回り、近所のセブンイレブンで缶ビールを買った。294円。これは2本目なので都合1リットルの液体を胃袋に流し込むことになる。なんとゆー幸せだろう。
で、本題に入る。靖国問題。そもそも、この問題ってゆーのが気にくわない。個人的にはこんなのは問題でも何でもなく、ごくごく常識的なマターだ。以下、私の見解を述べる。
戦没者を英霊として供養すること。これが何故いけないのだろうか?戊辰戦争以来、国のために勇敢に戦った、或いは戦わせられた英霊は246万6532人に上る。この中に含まれるA級戦犯は全体の何パーセントだろうか?瑣末な数字でしかない。枝葉にも当たらないそんな人たちにフォーカスして、靖国神社に参拝することが戦争自体を肯定することのよーに、論理のすり替えをしてしまう馬鹿者が少なくない。
靖国神社の北側には軍用犬、軍用馬の慰霊碑がそれぞれ鎮座している。人間と同じように働かされ不本意にも、苦しんで死んでいった彼らの御霊を敷地内に安置しているハートフルさがこの神社の奇特なところでもある。本来、神社仏閣において、四足の動物を供養するとゆー発想はない。しかしながら、例外を認めるってことも人類の英知ではないだろうか?
アメリカから押し付けられた日本国憲法20条には信教の自由と政教分離がうたってある。靖国神社は宗教法人法上の宗教法人なので当然ながら、憲法20条の制約を受ける。
1、信教の自由は、何人に対してもこれを保障する。いかなる宗教団体も、国から特権を受け、又は政治上の特権を行使してはならない。
2、何人も、宗教上の行為、祝典、儀式又は行事に参加することを強制されない。
3、国及びその機関は、宗教教育その他いかなる宗教的活動もしてはならない。
でね、問題は3項にある「国及びその機関」の範囲がどこまでかってことだ。
調べてみたら、内閣、各省庁、国会、裁判所、内閣総理大臣、国務大臣、事務次官、局長、課長、天皇、皇族、地方公共団体及びその機関、知事、副知事、市町村長、助役、出納長、収入役、部長、課長がそれにあたるようなのだ。えらい、広い範囲だなーって感じ…。私の同級生に、某省の課長、某町長がいるけど、彼らって「国及びその機関」なわけだ。でもね、参拝がすべからく「宗教的活動」にあたるってのはオカシイんじゃーないのかなぁ。仮に、私がバングラディシュ人のファイサル君やモビン君やラハマン君に連れられてイスラム寺院に参拝したとしよう。それって果たして宗教的活動と言えるのだろうか?
神社神道を信仰せず、しかも靖国神社の関係者でもない一個人が参拝すること自体を、即、憲法20条にいう「宗教的活動」に該当するのかどうかってゆー観点で検証した場合、私の答えはノーである。
ダブルスタンダードを地で行く小泉純一郎は、アメリカべったりの政治家であったが故に公式参拝を励行した。その際のコメントで印象的だったものを紹介する。「公的とか私的とか、私はこだわりません。総理大臣である小泉純一郎が心を込めて参拝した」がそれなのだが、彼はある意味、政治の天才だったのかもしれないなぁ。三木武夫みたいに、姑息な私的参拝で通したり、中曽根康弘さんみたいに公費で玉串料を支払い、堂々と参拝したケースもあった。公費で飲み食いばかりしている菅ちゃんマンは本日、日本武道館での戦没者慰霊式典で喋り、自身が平和の象徴(鳩だね、鳩)であるかの如きパフォーマンスをやって、またイベントを政治利用しちゃったなぁ。さもしい男だ。
個人的な意見を言うと、戦没者慰霊式は今年で中止して、来年からは日本武道館から歩いて5分の靖国神社に全員が参拝すべきだ。繰り返しになるが、参拝は単なる参拝であって、宗教活動にあらず。なので、天皇も皇族も靖国神社に行くべきだ。急激なスタンスの変更が無理なら、まずは秋篠宮家が家族全員で参拝し、前例をつくるべきだと私は思う。遠く、被災地に行くのも立派な仕事だが、皇居に面した九段の森にぜひぜひ足を運んでもらいたい。
玉砕した少年兵が、ついぞ口にすることのできなかった缶ビールをイージーに飲み干してしまえるこの環境に感謝し、筆を置きたい。以上。
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