2011年8月21日日曜日

フェイスブックに一言もの申す。

マーク・ザッカーバーグは凄くいいものをつくったなーって思う。
しかしだ。使い方とゆーか、その現実と本質は理解しなければならないだろう。ここでは、おかしいなーって私なりに思う点を羅列していきたい。なお、私自身はフェイスブックの赤ちゃん会員なのでそのあたりは不好意思(プーハオイースー)。
まず、女性会員の優位性について。ある意味、人気投票的なサイトでもあるので顔写真の可愛い、若い女の子に圧倒的なアドバンテージがある。たとえば、大きめの顔写真で彼女が満面の笑みを湛えていて一定レベル以上のルックスがあれば、ほぼ90パーセントの男性は「友達」になりたいと思うだろう。これは当たり前の話だ。彼女が「友達になる」ってことを承認した場合、たとえば私のフェイスブックのサイトには奇麗な女性の写真が「友達」として反映し、私は単純に嬉しいし鼻が高い。彼女らも、自分で会社を経営している場合、フリーのミュージシャンの場合、単に目立ちたい場合、あまり売れてないモデルで仕事が欲しい場合などの宣伝ニーズを労せずして充たせるので、極めて皮相的かつ安直、砂上の楼閣に似たWIN‐WINの関係がプチ構築できてしまう。
でも、これって、リアルに「友達」と言えるのか?甚だ疑問である。そう思っているのは私だけではないだろう。
次に活用法の問題。「友達」でない「友達」が5000人もいるケースを想定してみてよぅ。これって、アクチュアリー、サイトの管理が自分でできますかぁ?満員電車どころの騒ぎじゃない夥しい数のコメントや動画に、イチイチ目を通してたら寝る時間が無くなっちゃうってば!フェイスブックのための生活、あるいはフェイスブックのための人生を冗談じゃなく、余儀なくされたりするんじゃーないのぉ?結果、フェイスブックに振り回され、支配され、フェイスブック教の敬虔な信者に成り下がってしまう可能性って、ないかなぁ?それが、すこぶる心配心配。憂慮するところであります。
あと、個人情報の件。本名と住所(流石に町名と番地はオープンにしないだろうけどさぁ)、ケータイの番号、勤務先まで書き込んじゃって一体どうするんだろうって自分自身で思う。
因みに私の場合、郵便番号を記入してるので、実際には町名までわかるわけだから、フェイスブックを見た謎のペルー人が或る日、私の家まで来てピンポーンってインターホンを鳴らし、「岩本サン、あなたの友達、ゴンザレスです。1万円ほしいです」って来訪するってのも物理的には可能になるよね。
これって、ちょっとだけど危険だぞ。
そして、学歴詐称の問題。フェイスブックは卒業証明書の添付を義務付けていないので、私がもしパリ国立高等音楽院1983年卒とか、マサチューセッツ工科大学2010年卒って書いても変じゃないわけでしょ?これってかなり怪しいよぅ。公開会社の役員が、その有価証券報告書において、平気で嘘の記述をしていたことを私は何件も知っているしー、このオネストルールもかなり怪しいなぁ。
プラス、紛らわしいのが女性会員の生年月日。12月24日生まれ。アホか!お前がクリスマスイブに生まれたとゆー情報なんて、知ってどーするのよ?意味ないじゃん。こちらが知りたいのは、「1972年生まれかぁ、おれより1回り下で干支はネズミ年だな」とか、「1990年生まれってことは平成2年生まれだ。息子と同い年ね」ってレベルの情報だよー。下品な喩えで申し訳ないけど、ゴルフ場の風呂で股間をタオルで隠す人って多いよね。それと同じで、あるがままの姿にそんなに自信がないのかって感じー。どうせだったらオープンかつフェアに開陳しなさいよ、ナニと生年月日くらい。
最後に、恋愛対象の項目チェック。これって、やっぱアメリカナイズされてるなぁーって印象が強い。この項目は3通りあって、女性のみ、男性のみ、女性と男性の両方から選択することになっている。これは、その人の性癖であるし、全く自由であるんだけど、ある意味、カミングアウトの絶好の機会になってたりして、ノーマルな私としてはチョットしたサプライズを発見したりしてるよ。まぁ、そーいった部分でその人が非難されなきゃーいいのだけど、ね…。
ま、いろんな意味で革新的なフェイスブックであるので、自己責任の原則、適合性の原則に照らして、正しい活用をしようではあーりませんか、みなさん!
以上は、私個人の現在における全くの、忌憚のない勝手気ままな意見なので、悪しからず。

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