2011年8月23日火曜日

実体経済。

トルストイの「戦争と平和」全4巻のうち、第2巻をやっと読み終えた。長編を読むのは本当に疲れる。なおかつ、実体経済とゆー大きなテーマを書くのは更に疲れる。
なので、適当に書くわ。
まずは京成線立石駅前にある看板を写メってみた。「小汚い婆あの金歯でもぜひぜひ買取しまーす」ってゆー広告とゆーかお願いの看板だ。この看板は、あと2年は使われる予定だろうから、この店のオーナーは金はこれからも相当値上がりすると考えているわけだ。
これって、今流行の「都市鉱山」に似てるなぁって思ったのだ。「都市鉱山」。これも「ゲリラ豪雨」と並んで最近できた新語なんだけど、ケータイやパソコンの中に眠っている希少金属の部品をデッドストックしたまま葬ってしまうのではなく、分解、抽出し再利用するほうが、一般的な鉱山から発掘するレアメタルよりも費用対効果でペイするんじゃーないですかってスキームで、新たな試みとして、頻繁に使われるボキャブラリーじゃないかなーって思う。皆が気付き始めたその量がどれくらいあるのか、素人の私には皆目わからないけれど、資源の再利用って観点で、今後は益々盛んになってくるだろう。
金。ゴールドねぇ。アメリカのユタ州では既にドル紙幣よりも金貨銀貨の方が重宝されはじめているらしく、身内からドルに対する不信任が声高に叫ばれつつあるのが現状だ。ドルは刷りまくられた。実際に世界中にどのくらいのドル紙幣が本物・贋物を含めて存在するのだろうか?日本も本当に円高が厭なんだったら、輪転機を回し続け、諭吉で街を埋め尽くせばすぐに1ドル100円くらいにはなると思うけど、そうなった結果、円が世界中で流通するようになれば、ドルは二番煎じとして、機軸通貨の地位から滑り落ち、当のアメリカとしては都合が悪いどころか死活問題になってしまう。
安直に日本が10万円札を新規発行し、ガンガン刷りまくって量的緩和を実施したら円安なんてワケないのにねぇ。10万円札の肖像は聖徳太子よりも徳川家康でいいんじゃないかねぇ。
で、FOMCにおいて、「アメリカは超低金利政策を2013年半ばまで続ける」って言ってはいるけど、私の個人的な見解では「アメリカの金利は金輪際、上がらない」と考えている。なぜならば、ゼロ金利を長期化させて金融機関を太らせるってゆー日本が成功したスキームに縋るしか、アメリカが生き延びる策は他にないからだ。但し、平和裡に問題を解決しようと思っているなら、ってゆー条件付きだけどね。
そもそもシティバンクが1970年代中期以降、先駆けとなって、民間銀行による他国家に対する融資を本格化させた責めが現在において強烈な膿となって出てきてしまっていることを指摘せざるを得ないだろう。一般企業に対しての融資はバランスシートや損益計算書をみたりして稟議するのだけど、国相手の取引では最初から絶大な信用を供与し、手放しで資金を供給してしまう愚にプレーヤーは嵌りがちだ。しかも、とてつもなく大きな単位で。
1945年の敗戦から、1964年の東京オリンピックまで日本全体は勤勉に働いた。国威発揚が更なる成功を生み、1970年の大阪万博の1年前、1969年にはGDP世界第2位の国に初めてなった日本!
1972年にはサンクレメンテの繊維交渉において日本はアメリカに同業として認められたのを皮切りに、1983年の「ジャパン・アズ・No1」とゆー著書によって褒め殺しの対象となり、ついに1986年のプラザ合意では潰しにかかられている。
この躍進をもう一度再現するためには、何が必要なのだろうか?
個人的にはフランスやイタリアが今も日本に対して行っているローテクのブランドビジネスしかないと思っている。
理想は資生堂が中国人に対して成功したブランディングや、ちょっと規模は小さいかもしれないけど無印良品がイギリス人に対してイメージさせている日本的クオリティーの信任、あとはAV(これって大っぴらな輸出って無理なのか?)やアニメのコンテンツなのかなって思う。
付加価値とノーサブスティチュードな商品力さえあれば、為替が1ドル60円になっても絶対に大丈夫だし、円高局面ではしっかり輸入すればいいだけの話だ。
なんだか脈絡のない話になってしまったけれど、実体経済の落としどころを早く掴み、得手に帆を上げて、我が国は前に進むしかないのだと考えている。

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