2010年12月2日木曜日

国立西洋美術館。



今日は夜、尚美学園へ行ってしっかり、トランペットのレッスンを受け、ヘトヘトなんだけどー、夕方は銀座で知人の社長の業務を手伝ったり、昼は上野公園の国立西洋美術館で絵を鑑賞したりして、やっぱ芸術の秋って感じだわ。
で、今日は国立西洋美術館で観た2枚の絵について書くよ。左はカロリュス・デュランの「母と子」で1897年の作品。若くて美しいフェドー夫人に子供たちが、まとわりついている様が描かれていて滅茶苦茶に幸せそうだ。彼女は、このあと、自分で料理を作らなくても、お抱えの料理人がすこぶる美味いものを調理し、メイドさんがややギコチナイ笑顔で一皿一皿運んでくるのを、行儀良く食べるだけでいいのだ。
一方、右側の絵はシャバンヌ作、「貧しい漁夫」。1881年の作品だ。何だか宗教画っぽい。妻に先立たれたのか、愛想をつかされたかの若い漁夫が上半身裸の貧相な姿でうつむいている。子供たちには背を向け、古びた舟の浅い舟底では乳飲み子が横たわっている。今日も釣れなかった。なので収入はゼロだ。蓄えもない。明日も漁に出るが、どうせ釣れないだろう。この先、どうやって生きていけばいいのか? What shall I do? レンスン・メイ・イースー(人生、意味ない)ってイメージ。とにかく暗い。フェドー夫人と、この貧しい漁夫の、この差は一体、何なんだろうか?しかし、しかしだよ。1881年の時点では貧しかった漁夫も、ふとしたキッカケで、モチベーションを高め、具体的な目標を設定し、継続的な努力が功を奏し、自己実現に成功した彼は、16年の歳月を閲して網元から金融業に転じ、ほどなく貴族になり若い妻を娶った。それがこの貴婦人だったとしたら?
やるじゃん。そーゆーことってあるかもしれない。でも、現実には、チョー・レアなケースだろうな。そんなことを考えてみました。チャンチャン。

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