西島三重子のヒット曲、「池上線」に関する一考察を述べる。いつだったか、テレビでダチョウ倶楽部の上島竜兵(写真)が、この曲を聴いて大泣きしていた。私と彼は面識こそないものの同い年で神戸の中学・高校を出て、上京してきたとゆー共通点がある。なのでなんとなく空気感が同じで、その芸風に親近感を覚えることも手伝って、余計にこの曲が気になっていた。
で、今日は、この曲のストーリー性に着目した私が自分なりの解釈をしてみようと思うのだ。故寺山修司なら、この詞からどんな御伽噺を紡いでいくのだろうか。すっごく興味があるけど、今日は私が独断で綴ってみる。まずは、「池上線」の歌詞から。
古い電車のドアのそば
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか
忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら
ごめんねなんて言ったわ
泣いてはダメだと胸にきかせて
白いハンカチを握りしめたの
池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
終電時刻を確かめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯りともす夜更けに
商店街を通り抜け
踏み切り渡った時だわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ
あとからあとから涙あふれて
後ろ姿さえ見えなかったの
池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
山本モナと元巨人軍の二岡選手が利用した五反田駅西口のラブホ「ウエスト」で一戦交えた二人ではあったが、男はこのパターンに飽き飽きしていた。東急ストアの3階から繋がっている池上線五反田駅の改札に入り、古い車両に揺られ池上駅下車、徒歩8分に位置する彼女の自宅近くまで送って行くルーチンにも既に辟易していた。彼女は品川区で物流会社を経営する両親の一人娘で、清泉女子大の2年生であった。彼女の自宅は80坪ほどあり土地の値段が高かった関係で当時でも、少なく見積もって評価額は1億円を超えていた。なので、新潟県糸魚川市から出てきて(父親は地元のセメント工場に勤務)、川崎市登戸の安アパート住まいの日大商学部4年生の彼には、彼女の全体像が極めて華やかで魅力的に感じられた。
しかし、彼は典型的なスケコマシで、各沿線にセフレ(セレブではない)がいた。ありていに言えば、彼にとって池上線はワンオブゼムであり、実を言うと、特別な思い入れはなかったのだ。自宅に住んでいる池上線の彼女より、1人暮らしのOLや学生、あるいはディスコで知り合った主婦の方を彼は好んだ。東急大井町線の九品仏には三軒茶屋の居酒屋でナンパした昭和女子大の4年生が下宿していたし、東急多摩川線の鵜の木にも簡単に泊めてくれる歯科衛生士の27歳の女性のマンションがあった。加えて、西武池袋線の江古田には跡見女子大の、性格だけは極端に良いポッチャリ系の1年生、東武東上線の千川には池袋南口で働く美容師の美形の彼女(32歳)がそれぞれ住んでいて、交通整理が忙しかった。
池上駅で終電時刻を確かめたり、五反田方面に戻るフリをしなければならなかったのも、実は蒲田から鵜の木に行ったり、自由が丘経由で九品仏に辿り着いたりしなければいけなかった事情からだったのだ。池上の彼女に対し彼は、池上線で終点の蒲田まで行ってしまうルートを消しておく必要があった。
事実、彼は、池上の彼女とは別れたいと思っていた。下北沢の喫茶店のアルバイト(時給650円、交通費は出ない)で貰ったお金が、毎回毎回、五反田のラブホに費消されるのが単純に勿体無かったのが主たる要因にせよ、血液型がA型で粘着質の彼女との時間は正直、寛げなかった。だから、彼女には急遽、オクラホマ州立大学への留学が決まったと嘘をつき、別れ話をついさっき切り出したのだ。
「もう逢えないね、辛いけど…」。
「私待つわ、いつまでも待つわ(あみん)」。
おぼろげな記憶の中で彼は自分がこれからも、付き合った女性には満遍なく、均等に、やさしくし続けようと決心していた。心の中では赤い舌を出しつつも、しっかりと肩を抱き、憂いをたたえ一見淋しそうだがキラキラとした視線を、器用に相手の瞳に必要な分量だけ注ぎ込む技術を、若いながらも彼は、既に体得していた。
こんなん出ましたけど…。
で、今日は、この曲のストーリー性に着目した私が自分なりの解釈をしてみようと思うのだ。故寺山修司なら、この詞からどんな御伽噺を紡いでいくのだろうか。すっごく興味があるけど、今日は私が独断で綴ってみる。まずは、「池上線」の歌詞から。
古い電車のドアのそば
二人は黙って立っていた
話す言葉をさがしながら
すきま風に震えて
いくつ駅を過ぎたのか
忘れてあなたに聞いたのに
じっと私を見つめながら
ごめんねなんて言ったわ
泣いてはダメだと胸にきかせて
白いハンカチを握りしめたの
池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
終電時刻を確かめて
あなたは私と駅を出た
角のフルーツショップだけが
灯りともす夜更けに
商店街を通り抜け
踏み切り渡った時だわね
待っていますとつぶやいたら
突然抱いてくれたわ
あとからあとから涙あふれて
後ろ姿さえ見えなかったの
池上線が走る町に
あなたは二度と来ないのね
池上線に揺られながら
今日も帰る私なの
山本モナと元巨人軍の二岡選手が利用した五反田駅西口のラブホ「ウエスト」で一戦交えた二人ではあったが、男はこのパターンに飽き飽きしていた。東急ストアの3階から繋がっている池上線五反田駅の改札に入り、古い車両に揺られ池上駅下車、徒歩8分に位置する彼女の自宅近くまで送って行くルーチンにも既に辟易していた。彼女は品川区で物流会社を経営する両親の一人娘で、清泉女子大の2年生であった。彼女の自宅は80坪ほどあり土地の値段が高かった関係で当時でも、少なく見積もって評価額は1億円を超えていた。なので、新潟県糸魚川市から出てきて(父親は地元のセメント工場に勤務)、川崎市登戸の安アパート住まいの日大商学部4年生の彼には、彼女の全体像が極めて華やかで魅力的に感じられた。
しかし、彼は典型的なスケコマシで、各沿線にセフレ(セレブではない)がいた。ありていに言えば、彼にとって池上線はワンオブゼムであり、実を言うと、特別な思い入れはなかったのだ。自宅に住んでいる池上線の彼女より、1人暮らしのOLや学生、あるいはディスコで知り合った主婦の方を彼は好んだ。東急大井町線の九品仏には三軒茶屋の居酒屋でナンパした昭和女子大の4年生が下宿していたし、東急多摩川線の鵜の木にも簡単に泊めてくれる歯科衛生士の27歳の女性のマンションがあった。加えて、西武池袋線の江古田には跡見女子大の、性格だけは極端に良いポッチャリ系の1年生、東武東上線の千川には池袋南口で働く美容師の美形の彼女(32歳)がそれぞれ住んでいて、交通整理が忙しかった。
池上駅で終電時刻を確かめたり、五反田方面に戻るフリをしなければならなかったのも、実は蒲田から鵜の木に行ったり、自由が丘経由で九品仏に辿り着いたりしなければいけなかった事情からだったのだ。池上の彼女に対し彼は、池上線で終点の蒲田まで行ってしまうルートを消しておく必要があった。
事実、彼は、池上の彼女とは別れたいと思っていた。下北沢の喫茶店のアルバイト(時給650円、交通費は出ない)で貰ったお金が、毎回毎回、五反田のラブホに費消されるのが単純に勿体無かったのが主たる要因にせよ、血液型がA型で粘着質の彼女との時間は正直、寛げなかった。だから、彼女には急遽、オクラホマ州立大学への留学が決まったと嘘をつき、別れ話をついさっき切り出したのだ。
「もう逢えないね、辛いけど…」。
「私待つわ、いつまでも待つわ(あみん)」。
おぼろげな記憶の中で彼は自分がこれからも、付き合った女性には満遍なく、均等に、やさしくし続けようと決心していた。心の中では赤い舌を出しつつも、しっかりと肩を抱き、憂いをたたえ一見淋しそうだがキラキラとした視線を、器用に相手の瞳に必要な分量だけ注ぎ込む技術を、若いながらも彼は、既に体得していた。
こんなん出ましたけど…。
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