2010年12月19日日曜日

小沢征爾。


12月18日に、ニューヨークのカーネギーホールでブリテンの「戦争レクイエム」が演ぜられた。指揮は75歳、病気療養中の小沢征爾。椅子に座っての指揮で、立ち上がる場面もあったよーだが観ていないのでわからない。紛争の火種が無くならないどころか、今にも燃え盛らんとするこの時期に、政治家ではない一音楽家が世界のド真ん中で発したメッセージに共感する識者は少なくない筈だ。世界中の武器が、全て楽器に変わったなら戦争は物理的に不可能になる。「戦争レクイエム」は第二次世界大戦に警鐘を鳴らす目的で創られた曲だが、それをこの時期に日本人の小沢征爾がニューヨークでやるという意義はもの凄く大きい。
翻って、日本の主権をアメリカから奪還しようとする小沢一郎に対し、菅・仙石・岡田・前原・枝野・玄葉などの小物政治家はマッチポンプの役割しか担っておらず、存在する意味がない。なんとも嘆かわしいことだ。華原朋美に代わって颯爽と表舞台に現れた稲田朋美の方が、絶対に使えると思う。自民党なんだけどねー。
そろそろ、話を、小沢征爾に戻さないとね。
成城学園高校から桐朋の短大を出た小沢が、当時、大きいことはいいことだーの山本直純と同門だったことを知る人は少ない。卒業後、小沢は貨物船にギターとスクーター持参で乗り込み、単身渡仏を果たす。現地で、数々のコンクールに出演し、当然のよーに入賞する。才能あるねー。凱旋帰国後、その音楽活動が順風満帆に見えた彼だったが、1つの事件が起こる。NHK交響楽団第九ボイコット事件だ。コンサート会場で当日、団員はゼロ。1人で指揮台に上がる屈辱を味わう。小沢征爾、27歳であった。
その後、日本での音楽活動に見切りをつけた彼は、カナダのトロント交響楽団の主席指揮者に就任、以後、サンフランシスコ交響楽団、ボストン交響楽団、ウイーン国立歌劇場の音楽監督を歴任した。
30年の長きに亘ってボストンを率いた功績もさることながら、特筆すべきは2002年から2010年にかけてウイーン国立歌劇場の音楽監督に就任したことだろう。このことは、朝青龍が日本相撲協会の理事長に就任するよりも難しいとゆー認識を、私は持っている。カラヤンとバーンスタインに師事した小沢征爾は偉大なマエストロであると同時に、大晦日に浜崎あゆみと共演したりもできる大衆性も兼ね備えている。全く、凄い。凄すぎる。
現在、解っている事実は、日本には世界に通じる偉大な音楽家と政権担当能力を持った政治家が1人づついて、その2人が、偶然同じ苗字であるということだけだ。

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