2011年1月12日水曜日

家紋。

深夜、飲食から自宅に帰ってきた。息子が愛犬の散歩を既に終えていて、ほっとして1階のリビングの3人掛けソファーに座ってはみたものの何だか落ち着かない。温度計を見ると、5度。室内は冷たかった。そうか、そのせいなのか、とにかく寒い。早速、背広を脱ぎ、登山用下着、ゴルフ用スウェット、フリース二枚重ね、その上にジャージと機械的に着てことなきを得た。頭からは南極探検隊御用達の目出し帽(イギリスのサブゼロ、青いやつ)で頭を覆った。うーん、忍者とゆーより寧ろ、変質者に近い格好だ。でもね、温かければいいんだ。
で、今日は家紋について書いてみようと思うが、一旦、寝てからにするわ。おやすみ。(中断)
てなわけで、今はオフィスのある丸の内から書いている。
10月に岡山県美作市の父方の実家に行って、先祖代々の墓参りを父親とした際、祖父、栄三郎の眠る墓石の水差しには、なんだか見慣れない家紋が!父はそれを塙(花輪)結びだと言ったのだが、私には判別できなかった。
「うちって、丸に梅鉢(写真右上)とちゃうん?」と私。
「ほんまはな、墓に彫ってある方が正しいんや」と父。
「ええ加減やのう、誰が変えたん?」と私。
「わしや、めんどくさかったんや、そんなもんや」と父。
元々、格式のある家でもなんでもないので、テキトーなことをしてしまうのは判る。しかしなあ、家紋って、もうちょっとプライオリティーの高いものなんじゃーないのかなぁ。
しかし、だ。世の中のことはすべからく変化して行き、とどまることはないのだから、家紋を変えたからってオートマチックに地獄へ落ちることはないだろう。であれば、いっそのこと、私の代から写真右下の菊水紋にしてもいいのかもしれない。
菊水紋って、神戸の瓦せんべいで有名だ。子供のころから慣れ親しんでいるし、実は、この家紋にまつわるエピソードも好きだ。
後醍醐天皇から菊の御紋をもらった楠木正成が、そんな天皇家と同じマークを付けるのはおこがましいと考え、下半分を水が流れる図にしたのだという。謙虚だ。謙虚過ぎる。この謙虚さは私には必要なことだ。なので、2011年、岩本家の家紋はオフィシャルに、この菊水紋に変更することにしました。私に心境の変化がない限り、当分はこの家紋でいく。
重要な案件も決定したことだし、さあて、250円の牛丼でも食べに行ってこようか。でゎでゎ。

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