2011年3月9日水曜日

築地市場移転決まる。

大昔、築地の仲卸で働いた経験があるので、築地のことは知らないわけではない。
今回、都議会で民主党の都議が寝返ったことで自民・公明両党の主張する東京中央卸売市場の江東区豊洲への移転が正式に決定した。
元々は、江戸時代の日本橋魚河岸が中央市場の発祥であって、1923年の関東大震災で当地が壊滅的打撃を受けたため、段階的に築地に機能が移っていき、1935年、東京市中央卸売市場が正式に開設されるに至ったのである。以来、75年以上も東京の台所の役割を果たしてきた築地だが、場所が良すぎるため観光地化し、大型車両の搬入に際しては手狭になり、設備の老朽化も相まって衛生的なイメージが全くしない旧態依然とした佇まいが残っている。なので、水まわりも旧タイプだから、夏なんかは臭くてしょうがない場所となってしまう。
今後は新・東京卸売市場が江東区の発展の目玉となるだろうし、東京ガスの跡地とゆーことで広大な敷地の確保ができ、結果的には良かったのではないかと思う。跡地となる築地の有効利用さえ間違わなければ内需にも多少の寄与はするだろうし、いいことずくめと言えば言い過ぎになるだろうか?
石原慎太郎はここにオリンピックセンターを造りたかったみたいだが、オリンピックはリオデジャネイロに持っていかれてしまったので、違う手を考えなければいけないなぁ。
私の個人的なアイデアを記すと、ここを外国人居留特区にすれば良いと考えている。
実際に、現在の中央区明石町には1869年、築地居留地とゆー名称で外人が多数住んでいた。なので、このあたりに青山学院や立教学院、明治学院、女子聖学院の発祥の地が集中しているわけだ。居住者には税制面でのメリットを享受してもらい、しこたま東京の個人消費に貢献してもらうスキームを成功させたい。世界中の金持ちが住む、モナコみたいな場所にできれば最高だと考えている。現在のチープな東京から、高い物ほどよく売れる東京の担い手になってもらい、彼らの個人消費が1つのベンチマークとなって、宣伝効果と同時に全体の底上げが図れると思うのだ。街には華とゆーか、光が必要で、底辺の部分も包含したその多様性がその街の佇まいを極めて魅力的に見せるんじゃないかと思う。
どうなることやら。

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